ティエリー・アルドゥアンと緒方慎一郎|KYOTOGRAPHIE

 

ティエリー・アルドゥアン
種子は語る

■2024年4月13日〜5月12日 (KYOTOGRAPHIE 2024)
■二条城 二の丸御殿 台所・御清所

 

たくさんの外国人観光客に加え、そろそろ修学旅行の生徒たちも混じりはじめた二条城ですが、遠侍の北側に構えられた「御清所・台所」(通常は非公開)で開催されている京都国際写真祭にまで興味がある人はほとんどいないようです。
幸いなことにとても静かな環境の中、実にユニークなアートを楽しむことができました。

www.kyotographie.jp

 

フランスの写真家ティエリー・アルドゥアン(Thierry Ardouin 1961-)が撮影した種子の写真が展示されています。
アルドゥアンは1991年に写真家集団タンダンス・フルー(Tendance Floue)を結成、現在15名を数えるこのグループの創設メンバーとして内外で活動を継続しています。

本展は彼が2022年に出版した写真集『Seed Stories』をベースに企画されたのだそうです(キュレーターは本の出版も担当したナタリー・シャピィ)。

tendancefloue.net

 

会場のセノグラフィーを緒方慎一郎(1969-)が担当しています。
アルドゥアンの写真も素晴らしいのですが、この企画は緒方の空間演出も大きな見どころになっています。
まだ全ての会場を確認したわけではありませんけれど、今回のKYOTOGRAPHIE 2024におけるセノグラフィーのスマートさという点では規模感も含めるとここがおそらく一番といえるかもしれません。

出入口がとても小さく設けられています。
少し腰を低くし頭を下げないと入ることができません。
これは余計な光線を室内に入り込ませない工夫であったことを入場した後に知るわけですが、まるで茶室の躙り口がイメージされているようでもあります。

 




4つのパートに分けられています。
入ってすぐのRoom1では、天井が高くとられた土間の中に幾つもの光の玉のようなものがぶら下げられています。
よく見るとティアドロップ型のガラス球体の中に小さい粒のようなものが入れられています。
球体の底でランプに照らされた粒たちは京野菜などの種子そのものでした。
吹けば飛ぶように小さな存在としての種たちそのものの姿が暗闇の中で浮遊しています。

 

 

Room2「小宇宙」と題された空間は土間のエリアよりもさらに暗くなります。
照明らしきものはなく、わずかに木窓の隙間からもれてくる光だけをたよりに中に進むと何本もの黒い柱のようなものが現れます。
柱を上から覗くと驚きの光景が現れます。
拡大レンズを通し、突如として種子の巨大な画像が浮かび上がるのです。
先ほどガラス球の中で脆弱そうにみえた小さな粒々が実は非常に複雑で多様な顔をもっていたことが明かされます。

 



周囲がとても暗いため、種そのものと直接的に一対一で向き合わされるような効果が生み出され、一気にミクロの世界に身をもっていかれそうになりました。
エントランスから極端なほど明度が落とされていたのはこの部屋に入るまでに鑑賞者の眼を慣らすプロセスが必要と考えられたからでしょう。

 

 

御清所の東と南の側面は唐紙を通して柔らかく太陽光が差し込む空間として設定されていました。
Room3「大宇宙」とRoom4「宇宙的なフォルムと人為選択」ではその自然光を活かした展示がみられます。
ホワイトの地を背景に一粒の種を極端に拡大した写真が連ねられています。
どれ一つとして同じ種はありません。
丸いもの、楕円のもの、まるで種そのものが花のような形状を持つものなど、いくら見ても見飽きることがありません。

 

 

 

昨年のKYOTOGRAPHIE 2023でもここ二条城二の丸御殿台所・御清所は会場の一つになりました。
昨年展のセノグラフィーを担当した田根剛は御清所の扉を開放し、外の空間まで取り込んで高木由利子の巨大な肖像写真を見事に引き立てていましたが、緒方慎一郎は田根とは真逆のスタンスをとるかのように外界の景色や直接的な光を遮断しています。
結果としてアルドゥアンがとらえた種たちの美しさがそのまま各コーナーでミクロコスモスにもマクロコスモスにもつながるという絶妙な効果を引き出しているように感じました。

広大な和空間である台所と御清所はモダン写真の展示場所として必ずしも理想的な環境とはいえない面をもっています。
緒方はRoom2において室内を暗闇で包み空間に統一感を与える一方、Room2と3では間接的に太陽光を取りこむことでアルドゥアンの作品群がもつミニマルな美しさを活かして洗練された雰囲気をつくりだすことに成功しています。
この建築物はかつて調理の場として使われていました。
野菜の種はそうした建物の過去ともつながる題材であり、企画の舞台としてふさわしいともいえます。

 

 

 

それにしても種とはどうしてこんなに奇妙に美しいのでしょう。
およそ自然界のものは全て当然に美しいともいえますが、種はその小ささの中に植物として成長するための全ての機能が設計され閉じ込められているともいえます。
究極の機能美を備えているはずの存在であるにもかかわらずその様相はそれぞれに全く違うのです。
モンスターのように幾つもの突起物をもつ種、エロティックな妄想を掻き立てられそうな官能的形状の種、仮面を被った人物のようなパレイドリアを誘発する種などなど。
中には茶器として名物になりそうな模様と形状を備えた種もあります。

説教臭い言説を聞かされるよりもアルドゥアンと緒方慎一郎が二条城内に創り出したこの「種の世界」に浸った方が生物多様性の神秘と重要性を体感できるような気がします。

なお多くの被写体となった種はフランス国立自然史博物館の所蔵ですが、京野菜の種などは地元の農園から直接提供を受けたようです。
単なる写真展として静的に自己完結させるのではなく、開催される土地とのつながりをも取り込んだキュレーターたちの行動力が伝わるような好企画でした。

展示空間内の写真撮影は全面的にOKとなっています。

 

 

 

 

Thierry Ardouin - Seed Stories

Thierry Ardouin - Seed Stories

  • Editions Xavier Barral
Amazon

 

狩野古信が模写した「山水長巻」|京博「雪舟伝説」展

 

特別展 雪舟伝説ー「画聖(カリスマ)」の誕生ー

■2024年4月13日〜5月26日
京都国立博物館

 

京博は本展のチラシのなかで「雪舟展ではありません」と少しイケズな言葉を記していました。
たしかに雪舟自身による作品の比率は全体の半分にも及びませんが、雪舟筆とされる全ての国宝6件や重要作が一堂に会するこの「雪舟伝説」展は、規模と質、その両面からみて本来は十分過ぎるほど「雪舟展」と名乗って良い内容をもっていると思います。
圧倒的な感銘を受けました。

www.kyohaku.go.jp

 

大規模な特別展ですが会期は1ヶ月半程度と限られています。
しかしその「短さ」を京博は逆手にとるかのように粋な措置を講じています。
なんと多くの作品が「通期展示」なのです。

全87件の内、前期(4月13日〜5月6日)と後期(5月8日〜5月26日)で入れ替えられる作品は合わせて10件しかありません(一部微妙に展示期間が異なる作品や長い巻物の場合は展開部分が変化しますので詳細は京博HP内のPDF「出品一覧」をご確認ください)。
ハイライトともいえる「第1章 雪舟精髄」のコーナーに展示されている6件の国宝と3件の重要文化財も全て気前よく通期展示となっています。

展示による照明光ダメージを考慮した重要文化財保護に関する文化庁の指針に縛られ、この種の日本美術展は会期中の煩瑣な展示替えが当たり前になっています。
場合によっては3,4回通わなければ全作品を鑑賞できない企画展も珍しくありません。

文化庁が示している展示日数制限指針は「年間60日以内の公開」だったと思います。
つまり全会期がこの制限日数内に収まる本展では細かい展示替えが指針上は必要ないということになります。
入れ替えが必要なほど雪舟真筆の作品が多数存在していないという事情もあったとは思います。
それでも所有者によっては一箇所で長く展示されてしまうことを嫌うケースもあるでしょう。
雪舟以外の作品も含め、今回の通期展示実現には京博側の強い意向と交渉努力があったと推測することができます。
素晴らしい配慮だと思います。


繰り返しになりますが雪舟真筆とされる作品数自体は極めて限られています。
京都国立博物館平成知新館全てのフロアを雪舟作品で埋め尽くすことが無理な話であるのは自明でもありました。
だから「雪舟展ではない」と冗談まじりに京博は謙遜していたわけです。
ただ、西洋絵画の企画でよくありがちな「フェルメールとその時代」とか「レンブラントとオランダの画家たち」といった、主役本人よりも「その時代」や「画家たち」の方が実はメインとなってしまうような客寄せパンダ仕込み方式の展覧会にだけはしたくなかったのでしょう。
当人の代表作をふんだんに紹介しつつ、雪舟が後世に与えた影響を日本絵画史の中から読み解くという非常に充実した構成が企てられています。
響きがかっこいい「雪舟伝説」"THE LEGEND OF SESSHU"というタイトルも内容自体に即応しています。

雲谷等顔、長谷川等伯狩野探幽伊藤若冲曾我蕭白、さらには明治期の狩野芳崖に至るまで、多彩に受け継がれた雪舟の影響が丁寧かつ異様なまでの徹底ぶりで示されています。
中でも曾我蕭白による富士山と三保の松原あたりを描いた二つの巨大屏風(通期展示)では雪舟によってつくられたモチーフがこの絵師によって奇怪なまでに変容されていて「伝説」がもはや「奇譚」になってしまったかのようです。
幻惑されました。

 

 

さて、本展では雪舟以外の絵師の筆によるもう一つの「国宝」が展示されています。
狩野古信(ひさのぶ 栄川古信 1696-1731)による「雪舟筆四季山水図巻模本」(毛利博物館蔵)です。

雪舟が描いた「山水長巻」とも呼ばれる国宝「四季山水図巻」(毛利博物館蔵)を木挽町狩野家の第四代古信が模写した作品なのですが、コピーまで国宝になってしまうという例はあまりないかもしれません。

実はこの模写はもともと国宝である雪舟筆の「山水長巻」に関連する史料として「附」指定されたものです。
指定は2023年とつい最近で、この模本とともに、雲谷等顔が雪舟旧居の雲谷軒と「山水長巻」を受け継いだことを記した跋文なども附指定されています。
まさに「画聖雪舟」としての影響力が令和の世になっても続いていることを物語る国宝指定といえるかもしれません。

ubenippo.co.jp


模写でありあくまでも「附」という扱いでもあるのですが、狩野古信による「山水長巻」はそれ自体としてみても驚異的な完成度を誇っているように感じます。
十分国宝指定に恥じない傑作ではないでしょうか。

またこの作品についてはその模写制作に関するエピソードも大変興味深いものがあります(以下本展図録P.226にある福士雄也京博主任研究員の解説を参考にしています)。

古信に模写を命じたのは徳川吉宗(1684-1751)です。
この将軍様は中国絵画に心酔し沈南蘋を日本に来させたことで有名ですけれど、国内でも諸大名家に伝わる名品のコピー事業を進めていたそうです。
毛利家が所蔵していた「山水長巻」もこの事業に欠かせないものとして長州藩に貸し出しを要請していました。
しかし大内氏や輝元も関係していたこの秘蔵家宝のレンタルについて毛利家は当初拒み続けていたようです。
最終的には幕府の強い意向に屈することになり「山水長巻」はとうとう江戸に運ばれることになったのですが、なんと海路を避けて陸路で慎重に運ばれ、20日以上かかったといわれる古信の画室で行われた模写作業の際にも毛利家が毎夕引き取りにきたとされています。
将軍直下の事業でもあり古信には大変なプレッシャーがかかったと想像できそうです。
しかしその出来は20日余りで仕上げたとは思えないくらい徹底的に雪舟の筆を再現したものであり、言われなければ雪舟真筆とされてもおかしくない出来映えと感じます。
濃淡が鮮やかに残る古信模本は本物よりも部分的には迫力があるといっても良いくらいです。

 

commons.wikimedia.org

 

狩野古信は先述の通り木挽町狩野家の当主でした。
探幽の次弟尚信にはじまるこの系統の二代目狩野常信(1636-1713)は模写を非常に重視した絵師として知られています。
本展でも「常信縮図」と呼ばれる模写ブックが展示されているのですが、瀧や達磨図など徹底的に雪舟画を写していて、まるでカタログ化しようとしているかのようです。
大変な技巧派でもあったこの模写魔常信からの伝統が三代周信を経て古信にも着実に継承されたのでしょう。
将軍吉宗が名品模写事業の絵師に指名したこともその実力と評判を裏付けています。
木挽町狩野家の模写重視姿勢はいわゆる「狩野派粉本主義」の典型として批判の対象にもなってきましたが、古信が写した「山水長巻」の圧倒的クオリティを見せつけられると一概に悪き伝統と片付けられるものではないと感じます。

こうした狩野派による徹底したミメーシスが「雪舟伝説」の一端を担っていたということもいえそうです。
「山水長巻」に限らず、本展ではさまざまに模倣された雪舟のモチーフが執拗に登場します。
雪舟以外の画家たちが奏でた多彩なバリエーションの響きを堪能できる見事な特別展でした。

 

なお写真撮影は一切不可となっています。
人気作が勢揃いしていますからそれなりにお客さんが来ていますけれど、比較的ゆったりと展示スペースが設けられているので人流の潮目を読めばそれほどストレスなく鑑賞できると思います(平日鑑賞)。
とはいっても巡回展は無く京都だけでの開催ですから大型連休中などは混雑害が十分予想されます。

展示替えがほとんどないので一回の鑑賞で済ませても良いのですが、あまりにも充実しているので連休が明けた頃あたりに結局もう一回は足を運びそうです。