旅館 花屋の大理石風呂|長野県 別所温泉

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この旅館の「大理石風呂」。

まるで工芸品の中で湯浴みするような気分を味わうことができます。

ここ数年、リピート中。

今回で通算5回目の投宿です。

 

花屋へのアクセスは簡単です。

別所温泉駅から徒歩5,6分。

やや坂ではありますが、ゆっくり景色でも眺めながら歩けばすぐ到着。

駅からは旅館組合が運行する無料シャトルバスを利用することもできます。

ただ現在(2020年秋)はコロナの影響で土日祝日とその前日のみとなっているようです。

バスを利用する場合は事前に確認した方が良いと思われます。

門から入るとまるでお城の一部のような白塗壁の印象的な建築物が目に飛び込んできます。

これは食事が提供されるダイニングルームに使われている建物。

提灯が両側に取り付けられた立派な玄関から老舗旅館の風格が伝わります。

国の登録有形文化財として認定されている宿です。

 

1917(大正6年)の創業。

1966(昭和41)年、飯島春三氏が経営を引き継いだとありますから、宿の創業家は別なのでしょう。

春三氏は「みすゞ飴」で有名な上田飯島商店の六代目社長とみられます。

ということなのか、部屋に置かれたお茶請けはみすず飴。

売店でも購入可能です。

 

広大な敷地に宿泊棟が放射を描くように点在し、渡り廊下で結ばれています。

立派な池にかけられた板廊下を歩くと、この上なく優雅な気分に。

宿に入った瞬間から別世界が広がります。

 

ほぼすべてが木造。

部屋の中もウッディーで格調高い設え。

やや古ぼけたところはありますが、十分味わいの内でしょう。

 

 

旅館花屋最大の魅力は「大理石風呂」です。

この浴室は以前、二つに仕切られ、男女別の大浴場として使われていました。

現在は仕切りが取り払われ、男女入れ替え制によって二つの浴室すべてを堪能することができます。

 

かつて男性用として使われていた浴室は方形の大理石風呂が一つ。

女性用だった浴室には方形風呂に加えて楕円の巨大な浴槽があり、その女尊男卑的扱いに腹を立てていましたが、今では両方一気に味わうことができます。

インチキ大理石ではありません。

すべて本物。

その質感の素晴らしさ。

様々な色の石材が上品かつ豪華に配されています。

 

デザインも良いのですが、この浴槽の価値はその「大きさ」です。

別所温泉4号源泉、50.6℃の泉温をゆったり受け止めて適温化。

もちろん掛け流しで鮮度も十分。

白濁はみられません。

飲泉もできます。

エグ味が少なく塩気もないのでとても飲みやすい。

ほんのりと香る硫黄成分が薬湯の趣を添えています。

夏季には加水があるようです。

晩秋の頃、水気は特に感じませんでした。

共同浴場大師湯で味わう3号源泉も素晴らしいのですが、花屋大理石風呂の4号源泉もまた格別です。

 

大理石風呂に比べると「若草風呂」と名付けられたもう一つの大浴場はやや魅力に乏しいかもしれません。

浅めに作られた伊豆石の浴槽はなかなか品があって良いものの、湯の鮮度は大理石風呂に劣ります。

湯の投入量に比べて浴槽が大きいので温めの適温とはいえ、大理石風呂の後では物足りない。

白濁がみられるのも湯にエージングがかかっているからとみられます。

男女別の露天もあります。

ただ景色はほとんどないので、これも大理石風呂と比べてしまうと普通のレベル。

 

食事は「食堂」または白壁の「ダイニング」ルームで供されます。

特段、豪華な食材が主張することはありませんが、こなれた懐石。

前菜や碗物の出汁は上品にひかれています。

量もちょうど良い範囲。

以前は朝食で絶品のトマトファルシーが食べられました。

ここ数年は出てきません。

宿泊コースによるのかもしれませんが。

 

チェックアウトは11時。

朝風呂もゆっくり楽しむことができます。

 

今回はせっかくなのでGoToトラベルを使いました。

平日なのにかなりの宿泊客。

やはり施策の効果はそれなりにあるようです。

結構便利だったのはクーポン券。

上田で買い物することはないのでどうしようかと迷っていたところ、宿泊料金とは別に飲物代にこのクーポンが使えるとスタッフからアドバイスが。

この助言に従い、どんどんアルコールを投入することになりました。

クーポン使いきりました。

 

別所温泉では臨泉楼柏屋別荘にもよく泊まっていましたが、花屋の大理石風呂が女尊男卑扱いをやめてからはここに集中するようになってしまいました。

平日なら一人泊も可能。

キビキビしたスタッフのみなさんも好印象です。

 

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www.hanaya.ne.jp

安楽寺 八角三重塔の孤高美

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様々な意味で「孤高の塔」ともいうべき安楽寺の国宝です。

塩田平一帯は「信州の鎌倉」といわれますが、五山の堂塔が立ち並ぶ鎌倉とは規模がまったく違いますから、観光地のキャッチフレーズとしてみて場合、やや誇張が入っているようにも感じます。

しかし、鎌倉時代、1270年代末から幕府滅亡までの約50年間、ここには鎌倉北条氏一門の北条義政とその子孫が、実際に、一時代を築いていました。

歴史的にみれば、誇張でも何でもないともいえます。

ただ、別所温泉の奥、山中に屹立するこの八角三重塔をみた時、京都からも鎌倉からも遠いこの地でなぜこんなに美しい建築がつくられ、しかも、いままで破壊もされず朽ちもせず残されてきたのか。

その存在自体の孤高性にまず驚きます。

 

本堂などがある平地からかなり高い山の中に造成された墓地。

そこを見守るように建てられているのがこの塔です。

下から階段を上がっていくと木立の合間から陽光に照らされた屋根の木組が見えてきます。

決して大きな塔ではないのですが、みっちりと組まれた斗栱の密度とリズミカルな形式美に圧倒されます。

 

様式としては禅宗様とされます。

しかし、そもそもこのような塔の類例がないので、スタイルとしてみた場合も全くの孤高。

一番下の屋根は裳階で、これだけがやや大きく、上にのる三重の階層はほとんど同じ規模。下から見上げるとそれぞれの屋根の角が重なって気高い表情が生まれます。

中国から伝わった様式なのに屋根は柿葺で角度もさほど反り上がっていない。

全体として伝わるのはこの塔しか持ち得ていない気品そのものです。

 

塩田流北条氏の嫡流は鎌倉陥落時に同地でみな自害してしまい、土地の主人をなくした結果、塔自体の来歴もほとんどわからなくなっていました。

しかし2004(平成16)年、奈良文化財研究所埋蔵文化財センターの科学調査が入り、木材の伐採年から推定し、1290年代の建立であることが判明。

つまり鎌倉時代末期の建築。

とてつもなく貴重な文化財です。

 

もし塩田流北条氏が鎌倉に馳せ参じず、信州塩田平の地で宮方を迎え撃っていれば、この塔も戦火に巻き込まれた可能性があります。

三重塔の周りだけが、ポッカリとタイムスリップしているような雰囲気を感じさせるのは、歴史の流れの中で偶然、取り残されてしまったかのようなその来歴そのものに因があるのかもしれません。

 

惜しいのは塔の周りが全て墓地なので、一般観光客の立入が制限されている点。

墓地を上がった高台からこの塔をみることができません。

かなり限られたエリアからまさに「仰ぎ見る」ことしかできない。

寺の説明によると、塔はそもそも仰ぎ見るものとされていて、それをいわれてしまうとその通りなのでしょうけれど、鎌倉末期の宝石のようなこの建築物の全容を観賞したいという欲求は残ります。

 

2020年11月下旬現在、安楽寺はコロナによる入場制限はなく、300円の拝観料で普通に観賞できます。

平日の昼過ぎ、ほとんど参拝者はおらず、無人の美空間を堪能することができました。

本堂の広々とした縁側でひなたぼっこなども楽しめるので共同湯めぐりの合間にうってつけ。

ただかなり階段や坂を登りますから湯疲れでフラフラした状態での入山は危険です。

 

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安楽寺 国宝八角三重塔