新宿区矢来町辺り

 

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地下鉄東西線神楽坂駅には出口が二ヶ所あります。

東側、つまり飯田橋寄りの出口は赤城神社や神楽坂上の商店街に続いていて、神楽坂のメインエリアからは離れているものの、駅名と地名の間にさほど違和感を覚えません。

しかし西側、早稲田寄りの出口があるのは「矢来町」。厳密に言えば、ここは神楽坂ではありません。

今でこそ、雑貨テナントビルのLa Kaguやカフェ付き本屋の「かもめブックス」などができて、矢来町口も軽やかに変わりましたが、以前は新潮社のややダークな中層建物群が主なランドマーク。いわゆる神楽坂的な雰囲気とは程遠い空気感が支配していました。チャーハンで有名なラーメン店「龍朋」は相変わらずですが。

 

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この町は南北と西、三方が崖に囲まれた高台。さらに東側も、崖とは言わないまでも緩やかに下っていて、その坂の一部が神楽坂ということになります。

新宿区の北東。牛込台地、北の突端、矢来町。

こまごまと昔ながらの町名を残すこの辺りで、矢来町は比較的、大きい面積を占めています。

新潮社の本館・別館が牛込中央通りを挟んで存在感を放ち、学校やメガバンク系の社宅ハイツ群などもありますが、大半は住宅地。

丁度すぐ真北にあたる文京区小日向の、ほぼまんべんなく豪邸が連なる高級住宅地とは違い、所々に普通の家屋や昔ながらの集合住宅があるものの、矢来町も概ね高級住宅地と言って差し支え無いところです。

矢来町から南に広がる住宅地は大久保通りを目の前にして突然、崖のような坂で中断されますが、さらに反対側の坂を登って南へ進むと今度は市ヶ谷エリアのお屋敷町へと続く。

逆にいうと、市ヶ谷からはじまる牛込台地の本家山手高級住宅地、その東北の縁に矢来町は位置しているとも言えそうです。

新型コロナウィルス感染症のエピセンターとして夜の街「新宿区」が一時名指しされて、最も困惑したのは旧牛込区にあたる、矢来町を含むこの辺りに住んでいる人たちだったかもしれません。

 

南の崖では大久保通りという谷に遮断されたとはいえ、そこから先は再び高台に上り、まちの雰囲気が劇的に変わることはありません。

でも、北の崖は違います。

矢来町の北は主に赤城下町赤城元町に接続していますが、こちらは雰囲気が一変します。

住宅地という点では変わりがありませんが、屋並が矢来町中心部とは全く違い、小規模な家屋やアパート・マンションが密接して建てられています。野良猫もちらほらと見受けられる長閑で狭隘な路地が続きます。

そしてこれが特徴的なのですが、矢来町の北の端を東西に横切る路地と並行に走る赤城下町の路地の間は、接合する南北の路地がありません。つまり行き来が出来ないのです。

唯一の抜け道は「あかぎ児童公園」。

この公園はまさに矢来町から赤城下町を結ぶ崖に沿って造成されていて、急勾配を利用したシュールな親子象のスベリ台が有名です。

しかしあかぎ児童公園は夕方になると閉鎖されてしまうため、夜間に矢来町から赤城下町に出るにはちょっと迂回する必要があり、しかもその東側の迂回路は江戸の昔から急勾配で悪名たかい赤城坂。水道町辺りの居酒屋で飲んで矢来町まで帰ろうとすると大変な坂道をフラフラと登ることになり、下手をしたら転んでそのまま帰らぬ人に、ということになりかねません。

東西に長く南北の行き来が出来ない道は何もここに限らず、矢来町のすぐ南にも同例をみることができます。すなわち新宿区北町・中町・南町。いずれも東西に長細い町割ですが、南北に町の間を結ぶ路地がほぼありません。それぞれ劃然として相容れない街並みです。江戸幕府のお勤め人たちが住んでいた町割がそのまま残っていると言われています。

一方、矢来町は元々、大名屋敷の囲いに由緒をもちますから、赤城神社に地縁があると見られる赤城下町等とは「一線を画」し、両町の間には行き交う路地が作られなかった、ということかもしれません。

そういう昔ながらの由縁推察はともかく、高台側と坂下側でここまで町の雰囲気が一変するものかと、散歩中、愕然とするのが、矢来町北辺の崖です。

 

もう一つ、西側の崖です。

矢来町や弁天町、南榎町の住宅街をのせた台地は西に進むと外苑東通りを底にガクンと落ち込み、そこから先はもう早稲田エリア。

また早稲田通りは天神町を経由し江戸川橋通りと交わる辺りで地蔵坂と言われるカープ道の急坂になって落ち込みます。

早稲田通りは牛込見附北の神楽坂下から神楽坂上までをわざわざ区切って「神楽坂通り」と名前を変えていますから、矢来町から江戸川橋通りまでの坂道はもう神楽坂通りとは言えません。が、なんとなく「延長」されていると見てか、それっぽいお店が点在。その中に土日しか営業しない、いかにも神楽坂テイストを狙ったアイスクリーム店がありそれなりに繁盛していたようですが、先日、閉店しました。

江戸川橋通り側に崖を降りきると、こちらも町の雰囲気が一変します。

ここから早稲田鶴巻町辺りまで、大日本印刷榎工場を中心とした小規模印刷関連企業の数が目に見えて多くなります。

坂上に大出版社の新潮社、坂下に小さい印刷工場が集まる構図。確か泉麻人が指摘していましたが、土地の形状がそのまま業界の階級関係を象徴しているという、複雑な気分にさせられる場所です。

 

とはいうものの、この町は風流な由緒も数々。

例えば矢来町は夏目漱石の散歩道だったと言われます。

ただ、漱石早稲田南町漱石山房から矢来町を抜けて神楽坂まで歩いて行くのですから、通過点としてそれは当たり前でもあります。

 

一番、気に入っている矢来町にまつわるエピソードは、この町に住んでいた鏑木清方の傑作「築地明石町」を、近所に住んでいた泉鏡花が褒めちぎっている件。

『健ちゃん大出来!』という題で、鏡花の随筆が残っています。

健ちゃんとは清方の本名(健一)からとった愛称で、この大絵師にこういう褒め方ができるところが、さすが鏡花です。

鏡花は清方の矢来町にあった屋敷の中で「築地明石町」を初めて観たらしいのですが、清々しい高台の空気感が絵に投影しているような表現で見事にこの傑作を評しています。 

鏡花随筆集 (岩波文庫)

鏡花随筆集 (岩波文庫)

 

 賑やかな神楽坂メインストリートより、矢来町近辺の崖を上り降りする散歩コースが好きです。

中でも、あかぎ児童公園(夏場は凶暴な蚊に注意が必要ですが)。

 

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あかぎ児童公園