ヴェルディ「仮面舞踏会」 カラヤン盤(DG)

うんざりするような夏が終わってくれたようなので、飲んだくれながら、昔買ったオペラのディスクを引っ張り出し、午後を過ごしました。

 

ジュゼッペ・ヴェルディ 「仮面舞踏会」

 グスターヴォ3世: プラシド・ドミンゴ

 アンカーストレーム伯爵: レオ・ヌッチ

 アメーリア: ジョセフィン・バーストウ

 ウルリーカ: フローレンス・クイヴァー

 オスカル: スミ・ジョー  、その他

 ウィーン国立歌劇場合唱団 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 指揮: ヘルベルト・フォン・カラヤン

 DG FOOG-20468/9 (427 635/2)

 

ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」
 

 

カラヤン最後のオペラ録音として知られています。1989年1月から2月にかけてムジークフェラインザールで行われたセッション。半年後のザルツブルク音楽祭でジョン・シュレジンジャー演出による舞台にかけられることが決まっていましたが、音楽祭での公演直前、同年7月16日にカラヤンは逝去。翌年の舞台映像がショルティの指揮により残されています(TDKのDVD・こちらは観ていません)。

 

ドミンゴやヌッチの素晴らしさもしっかり記録されていますが、私がこのディスクで特に惹かれるところは次の二つ。

 

一つはカラヤン最晩年の、勢いに任せることをせずに旋律の襞を慈しむような指揮に応えるウィーンフィルの美しさ。BPOから離れ、最後に付き合いを濃くしたVPOの響きにこのオペラを託せる見込みがあったからこそ、カラヤンはそれまでほとんど振った経験のなかった「仮面舞踏会」を取り上げたのではないかと推察してしまいます。

 

もう一つの魅力はジョセフィン・バーストウ。このイギリス人ソプラノについては、いかにも盛りを過ぎた歌手をなぜカラヤンが今頃起用したのかと、疑問を呈する声が批評家筋にみられたと記憶します。こともあろうに、この国内盤自体のライナーノートを書いている高崎保男もその中で、バーストウが録音時すでに絶頂期を過ぎているとしつつ「多少こもり気味」とまで指摘しています。

私は初めて聴いて、バーストウの魅力にはまり込んでしまいました。テキストの語感に陰影を丁寧に与えることで、王と夫とという究極の板挟みに陥ったアメーリアの揺れ動く感情を多彩に表現していくバーストウの歌唱は、若々しいプリマドンナたちよりも遥かに説得力があります。単に翻弄されるヒロインを演じるというより、苦渋そのものを味わいに変えてしまうような魅力があり、バーストウの微に入り細に入った性格描写に、ヌッチが表現の幅をかなり広くとってのレナートで応じているのも印象的。

元々カラヤンという人は例えばヤノヴィッツに代表される工芸品のような透明感を持ったソプラノや、アライサのごとく不純物の少ない男声を好む一方、レオンタイン・プライスやジョン・ヴィッカースといった暗い色合いと独特のクセを持った歌手を重用したことでも知られます。バーストウも一度聴いたら忘れられない鈍色のニュアンスを含んだ声質の持ち主。「こもっている」わけではなくこれが彼女の「色合い」なのです。メジャーな録音に恵まれていなかったというこのベテランソプラノを、カラヤンは単に晩年の気まぐれで起用したわけではないと推察しています。


バーストウの録音は本当に少ないのですが、EMIから出ていたコール・ポーター「キス・ミー・ケイト」の中で「ソー・イン・ラヴ」を歌っています。これもとっても素敵です。

 

カラヤンは実演の前にオペラをセッションで録音することが多かったようです。この「仮面舞踏会」もその方式。今では実演そのものを映像もろともライヴ収録することが主流ですが、考えて見ればこれはディスク鑑賞者の立場から見れば逆で、実演にむけた磨き上げと、丁寧な音の記録を求めるのであれば、カラヤン方式が優れていたことがわかります。

もちろんこのやり方ではコストがとてつもなくかかるので、カラヤンですら、一本オペラ録音を企画するには「管弦楽名曲集」つまりポピュラーコンサート的な売れ筋盤を数枚抱き合わせて録音することをレコード会社に約束しなければならなかったそうです。しかし、この「仮面舞踏会」の、歌手やVPOを鮮明に空気感すら含んでよく捉えたディスクを観賞すると、セッションのオペラ録音をもう一度、と無い物ねだりをしたくなってしまいます。