「鴻池朋子 ちゅうがえり」展 (アーティゾン美術館)

 

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鴻池朋子 ちゅうがえり
ジャム・セッション 石橋財団コレクションX鴻池朋子

 ■2020年6月23日〜10月25日
 ■アーティゾン美術館

 

ゴムの蛇から本物の毛皮、鏡からアルミ、自転車の車輪。
鴻池朋子がありとあらゆる素材を使って表現しようとしているものは何なのか。

みる人の勝手で何にでもなる。これが答えだとは思いますが、その底流に、漠然と共通した磁場のようなもの、もっといえばやや強引にでも作品との関係性を問うてくるような意思を感じます。

客観的にみられるだけではない、ある主体そのものが取り込んだ「生」の世界を、それをみている者に丸ごと照射してくるような、一種の強烈な間主観性を帯びたアート。

 

「ジャム・セッション」とは現代美術作家が石橋財団保有作品とのコラボレーションを試みるというアーティゾン美術館独特のシリーズ企画。

鴻池朋子はその第1回目の作家として選ばれたのだそうです。ところが、彼女はコラボすべき石橋コレクションからの作品選定を断念。結果、美術館側がやむなくクールベ等、数点、共演作を選定し展示することになったのだとか。

正直、「共演」とは思えませんでした。学芸員さんたちの困った表情が目に浮かぶようです。

ジャムってない、第1回目のセッション。

でも、この状況を鷹揚と受け入れて、全面的に鴻池作品をリスクペクトしながら展示している美術館側の潔さがまず素晴らしい。ある意味、記念すべき第1回展だと思います。

展示室のほぼ中央に巨大な円形の木組み。滑り台もついていて、体験することを鑑賞者に強く訴求するインスタレーションが置かれています。
円の内側にはモノクロの襖絵が描かれています。鴻池は元々日本画家として教育を受けた人。竜巻の混沌から生命が浮かびあがってくるような、あるいはその逆のようにも受け取れる具象的モチーフが緻密かつ迫力を感じさせる筆使いで表現されています。鴻池版「生々流転」といったところでしょうか。
多様な素材を用いた作品においても、しっかり技術の裏付けを感じさせるところがこの人の魅力です。

なぜ鴻池は石橋財団コレクションから共演できそうな作品を選べなかったのか。もしくは選ばなかったのか。
それは本人にしか分かりませんが、想像すると、彼女の作品が、あまりにも「生」すぎるからではないかと、思います。

ここでいう「生」は、生理的、という意味も含めて考えたいのですが、今回展示されている作品のいずれもが、「みるーみられる」といった関係を超えて、「みるーみかえす」と言えるくらい鑑賞者と特異な関係性を強いてくる存在感を放っています。そこが妙に「生」っぽいところとして感じられるのです。

もちろん石橋財団コレクションの中にも鴻池とは別の意味で鑑賞者を射返すような作品がたくさんあると思います。
しかしその「みる-みられる」の関係性が根本的に異なっているのではないのか。
鴻池の作品にはみられる側である作品自体がすでに自ずから周りの世界を取り込んでいて、その取り込んだ関係性をも含めて、みる者に挑んで来るようなところがあります。

ブリジストン美術館のコレクションの中にこれほど生々しく間主観性を強いてくる作品があるのかどうか、確かにすぐには浮かんできません。今回展示されていたクールベシスレーの絵画は絵画自体の中で「みる-みられる」の関係性が完結しています。それらが鴻池作品の中に置かれたとき、なんとも言えない違和感が生じるのです。
もちろんこれは、芸術性の高低を云々しているわけではありません。念のため。

 

あれ? この「違和感」がセッションの目的だったのか?
いや、それならもっと違和感を感じさせるようにたくさんの石橋コレクション群が置かれたはずですから、やはり未完のセッションではないかと思います。

もちろん鴻池作品に全面的に心酔できたわけではなく、あまりにも強い生理的な体臭のようなもの(毛皮の匂いではありません)に抵抗を感じてもしまう。もう還暦の人なのに、大変なエネルギーです。

 

ブリジストン美術館時代と変わり、高い天井とフラットな壁面が存分に活かされた展示。今回はジャムれなかったようですが、次回も楽しみなシリーズとなりました。

 

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