石元泰博の眼差し|オペラシティ・アートギャラリー

 

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生誕100年 石元泰博写真展 伝統と近代

■2020年10月10日〜12月20日
東京オペラシティ・アートギャラリー

 

言い方として古臭いんですけど、この人、とてもシャイな方だったんじゃないかな、と感じました。

被写体の人物が真っ直ぐカメラを見返している写真がとても少ないのです。

数点例外的に、若い頃の石原慎太郎唐十郎夫妻を捉えたポートレート等では、しっかりカメラを見返す姿が写されています。

しかしどこか不自然な、硬直感がみられます。

他方、民俗芸能を写した作品では同じく被写体は人物なのですが、ヴァナキュラーな力の美しさが躍動感を持ってしっかり捕捉されています。

でも、その祭り人たちはいずれも仮面をつけていて、生の直接的な「視線」は完全に隠されています。

人の視線の生々しさは、石元には、彼が追求した「かたちと存在」にとって、ひょっとしたら一種の「ノイズ」になっていたのかもしれません。

それだけに、狭雑物がない造形だけを捉えた彼の写真には純度の高い存在の美が結晶。

こちらの視線が離せなくなります。

 

恵比寿の東京都写真美術館での展覧会に続き、初台のオペラシティで同時開催されている生誕100年記念展に出かけてきました。

写美展と違い、日時指定の事前予約制。

平日の昼に鑑賞しましたが、10月中旬現在、ほとんど無人

とても快適でした。

東京都写真美術館の展示に比べるとほぼ3倍の作品数。

同時開催とはいえ規模はオペラシティの方が圧倒的に大きく、どちらか一方を観る場合は初台がお勧めです。

とはいえ、恵比寿にも最晩年の「シブヤ、シブヤ」や多重露光による色彩構築、80年代版「桂離宮」の美しいプリントがみられますから、丸ごと石元芸術の全貌を味わうためにはやはり両方の観賞が必要と思います。



オペラシティの展示においても幅広い活動期間の作品が展開されていますが、中でも圧倒的存在感を放つのが「近代建築」と「両界曼荼羅」のコーナー。

桂離宮の写真撮影で丹下健三と組んだ石元はその後も建築を題材とした写真を数多く撮っています。

ちょうどモダニズム全盛期と重なったため、丹下作品はもとより、芦原義信前川国男吉田五十八大谷幸夫といった大家の作品が、ほぼ建築されたばかりの状態の頃、貴重な姿を写し撮られています。

他に白井晟一磯崎新黒川紀章菊竹清訓内藤廣と当時売り出し中だった建築家たちの作品が次々カメラに収められていて圧巻。

単に建築のわかりやすい顔を撮る、のではなく、どのパースフェクティブや時間によればその建物の存在が際立つのか、計算と石元独特の直感的なセンスで切り取られたモノクロ芸術。

こんなに美しい香川県庁舎は観たことがありません。


他方、両界曼荼羅は極彩色の大画面。

素材は東寺の至宝、胎蔵界曼荼羅金剛界曼荼羅です。

実物観賞ではとても視認できない細部が巨大に拡大されています。

しかも図像の持っているであろう質感は損なわれていません。

密教絵画のむせ返るような官能美があからさまに発掘されています。

バチ当たりしそうなくらい美しい。

拡大された細部から真言密教のもつ呪力があらためて放たれるような凄みすら感じられます。

曼荼羅の主宰・大日如来の、観る者を吸い込むような視線をしっかり捉えている石元が、実際の人物写真になると微妙にそのスタンスをずらしているように見えます。

冒頭ふれたように、この人のポートレートはどこか硬直感が漂います。

ところが、街中でふらつく人々をスナップ風に捉えた写真には、むしろ「素」のその人のありようが滲んでいるようにも見える。

眼差しを交わしていないからです。

「見返される」と、対象のモノとしての存在より実存の生っぽさが邪魔をしてしまう。

そこをなんとかしたくて、見返してきた人、例えば石原慎太郎には灯籠に片腕を突っ込ませるポーズをとらせて「モノ」化を試みる。

太陽の季節』の例のシーンを意識してもいるのでしょうが、いかにも硬い不自然で珍妙な写真に仕上がっています。

三島由紀夫は見返してこそいませんが、この人の視線は誰が写しても強烈すぎるのでズレている視線がすでに全体を硬直化させているようです。

これはこれで面白いのですけど。

「日本の産業」シリーズにみられる無機的なパイプや生産ライン像を切り取った写真が、造形のもつ寡黙でしかも確固とした美を捉えているのに対し、他者の直接的な視線に晒された石元のポートレートにはどこか恥ずかしさを押し殺してシャッターが切られた気配が漂います。


でも。

「シブヤ、シブヤ」(東京都写真美術館での展示)で、石元はファインダーを覗かずに若者たちを捉えたそうです。

この連作では、おそらく苦手だった視線の跳ね返りを回避しながらも、モノの奥にある実存の生っぽさがしっかり写し出されています。

85歳に至って「見返されること」と折り合いをつけた石元の回答だと思います。

 

 

 

 

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