「わかりあえなさ」をわかりあう トラNsれーショNs展
■21_21 DESIGN SIGHT Gallery
■2020年10月16日〜2021年3月7日
言葉と言葉、言葉と感覚、感覚と感覚・・・「翻訳」の可能性や危うさを実に様々な素材や角度で表現したインスタレーション群。
ちょっと何かをリセットしたい時にヒントを与えてくれる展覧会かもしれません。
ここで扱われているトランスレーション=翻訳は、言語に限定されていません。
例えば《鳥の泣き声など=聴覚》を《振動=触覚》に変換する装置、「オンテナ」(本多達也)。
これは聴覚に障害を持った方にどのように「音」を伝えるか、つまり感覚→感覚のトランスレーションが試みられている作品です。
一見、本展の意図を明確に示している作品のように見えますが、実はこれはまだストレートなトランスレーションの一例にすぎません。
言葉⇄言葉の変換にしても、単なる外国語の翻訳という次元を超えて、まったく違った視点でその変換の有様が問い直されています。
「翻訳できない世界の言葉」(エラ・フランシス・サンダース)や「ポジティブ辞書編集」(ティム・ローマス+萩原俊矢)といった作品は、他の国の言語にはどうしても完全に置き換えられないことばや、訳語があったとしても直訳にしたときにどうしようもない違和感が生じてしまう例が楽しいビジュアルによって紹介されています。
どんどんトランスレーションの次元は拡張されていき、ついには動物、植物、つまり人間以外の生物との対話関係にいきつきます。
長谷川愛の「Human×Shark」。
フェロモンを使ってサメと恋愛関係が構築できるのか。
実際そのフェロモンを嗅ぐことができます。
嗅いでみましたが、臭くはなく、なんとなく懐かしい匂い。
私はサメに欲情できるのかもしれません。
極め付きは、植物の呼吸穴を「唇」と解釈して、「彼ら彼女ら」との対話を試みるという「密やかな言語の研究所-読唇術」(シュペラ・ピートリッジ)。
サメにもましてエロティックであり、今回、一番惹かれたインスタレーションとなりました。次々と非日常的な趣向が芽生えてきそうでちょっと怖い。
本展のディレクターであるドミニク・チェン自身、多言語を操る人です。
視点が複眼的というか、ちょっと思いもつかない「翻訳」のディメンションをスパイスを効かせながら紹介してくれています。
永田康祐による映像作品「文化がまざる」では言語自体がもつ論理性が崩壊している現場が示されています。
シンガポールでは"fried rice"が「炒飯」であり「ナシゴレン」でもあります。
日本では炒飯とナシゴレンは明らかに違う料理ですが、シンガポールでは"fried rice"といえばどっちでも正しい。
しかし、料理としての炒飯とナシゴレンの違いは厳然としてあるわけで、ここでは言語の論理が何気なく崩壊していることになります。
次の通りに。
AはBである。
AはCである。
BとCは違う。
明らかに矛盾です。
文化がまざりあう現場の生き生きとしたトランスレーションの混乱。
感覚的に体験できる展示もあるので、わちゃわちゃとしたデートにおすすめ。
いろんな音がすでに会場に溢れているので、静かに観賞することがそもそもできません。
とはいえ、入念に直前確認がメールで入る事前予約制がとられています。
体温チェックもしっかり。
騒いだり、はしゃぎすぎると監視員さんから注意されるかもしれません。
なんだかモヤモヤしている人にもリセット効果がありそうです。
伝え方、伝わり方、感じ方、感じられ方。
今まで想像していなかったような、新しい視点がひょっとすると思いつくかもしれません。
特に最後に置かれた「観賞から逃れる」。
鮮やかに主客が逆転する劇的な体験が味わえると思います。