先日観賞した「分離派建築会100年」展(パナソニック汐留美術館)では、分離派建築会メンバー以外の作品も紹介。
岩元禄の名作「旧京都中央電話局西陣分局舎」が大きくとりあげられていました。
現在も「西陣産業創造會館」として現役の建物です。
国指定重要文化財。
建物自体はNTTが所有しているらしく、正面入口横に由緒書が掲示されています。
以下に引用してみます。
" この建物は大正10年、京都中央電話局西陣分局として建設されました。設計者の通信省技師・岩元禄は、日本近代建築の黎明期、大正時代において、建築の芸術性をひたすら追い求め、わずか3点の作品を残したのみで夭折した天才的な建築家であります。この西陣電話局は、彼の現存する唯一の建物でもあり、文化的・学術的に非常に高く評価されております。日本電信電話株式会社としても、この素晴らしい建築を永く後世に伝えようと、この度改修工事を行い、保存・再生することといたしました。皆様方の電話局として末永く親しんでいただければ幸いであります。 昭和60年10月23日 "
この由緒書の中に「建築の芸術性をひたすら追い求め」とあります。
これは分離派建築会のまさにモットーです。
汐留の分離派建築会展では「近代彫刻の衝撃」というコーナーで岩元禄のこの建築が紹介されていました。
分離派メンバーより世代が上の人ですが、彼らに慕われた理由を岩元の仕事から窺い知ることができます。
建物自体の保存はされているのですが、惜しいのは岩元がまさに精根込めて造形したであろうファサードのデザインを何本もの電線が遮ってしまうこと。
久しぶりにこの建物をみましたが、以前より電線が増え、電線自体も太くなっているように感じます。
周辺は低層建築がほとんどなので電柱の高さがこの建物に比べて低く、結果、電線に包囲される格好になっているのかもしれません。
とはいえ、近づいて見れば、岩元がイヴァン・メシュトロヴィッチから影響をうけて造形したという、裸婦像の力強いマッスをしっかり確認することがきます。
この正面レリーフが特に有名ですが、3階部分の列柱デザインやライオンの顔等、建物全体から醸し出される近代表現主義と古典テイストが微妙に入り混ざった雰囲気も素敵だと思います。
場所は御所のすぐ近く、油小路中立売。
よくよく考えると今以上に周囲の景観からかなり浮いたデザインだったはずです。
岩元の天才性を認めて当時としては大建築だったこの電話局建設を実行した通信省の決断に驚きます。
昭和33年に電話局としての業務は停止した建物。
保存が確定してからもすでに40年近く経過しています。
所々、シミのような縞状の汚れも目立つようになりました。
大変でしょうけれどそろそろ一度きれいに再修復してもよいタイミングが近づいているかもしれません。