博士と狂人 (P.B.シェムラン監督)

 

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「博士と狂人」(ポニー・キャニオン配給)

 出演: メル・ギブソン ショーン・ペン ナタリー・ドーマー エディ・マーサン
   スティーヴ・クーガン 他
 監督・脚本: P.B シェムラン


辞書作成モノ、という映画ジャンルがあるわけではありませんが、この国では「舟を編む」という作品が既に存在しているので、辞書づくりに携わる人たちがもつ特有の異常なまでの言葉への執着、気の遠くなるような時間のかけ方等については、あの映画を観た人にはお馴染みでもあったりすると思います。

舟を編む」では架空の「大渡海」という辞典をつくる話でしたが、こちらは実話。オックスフォード英語辞典(OED)誕生に関するエピソードを素材としています。

どんな辞書づくりが展開されたのかと、そのことばかりに期待すると、ちょっと違う映画。
初版作成の功労者マレー博士と、彼をボランティアとして支援した米国元軍医マイナー。二人の描写に力点がおかれているので、辞書づくりそのもののスリリングな面白さについてはそれなりに描かれているものの、限定的、と感じられました。

とはいえ、マレー博士のこだわり、すなわち、ある言葉が何世紀にもわたって連綿と使われる中で被る変容と固定、その意味の歴史を絶対に疎かにしない静かな頑固さは「舟を編む」で加藤剛が演じた学者に通じるものを感じさせます。
マレーを応援するファーニバルのセリフを借りて「言葉は生きている」という辞書づくりでは避けて通れないであろう深淵なジレンマというか、醍醐味もちゃんと織り込んでいます。

しかし、どこか物足りない。
マイナーはなぜ、精神病院の中で、言語学者たちですら用例を見つけられなかった言葉の足跡を次々に見つけられることができたのか。
彼が軍医時代に受けたあるトラウマによって精神を病んでいく姿はドラマティックに描かれているのですが、その彼がなぜ言葉の海を脳内にたたえることができたのか。
そのあたりのプロセスがはっきりしないため、狂気と天才性が紙一重である、というクリシェの範囲にとどまった映画に見えてしまう。
世界に冠たる大英辞典の誕生に気の毒な狂気の人が関わっていた、結局、そんな一種のヒューマンドラマとしての範疇に着地した印象。
マイナーが「トリストラム・シャンディ!」と叫んだ瞬間は、これはいける!と思ったのですが...
狂気なのか特別な才能なのか、マイナーを統合失調症患者として回収するのではなく、もっと本質的な域まで掘り下げて欲しかったと思います。

19世紀末にイギリスが国語辞典作成に関してなぜここまで拘ったのか。それは英国植民地各地で崩されていく自国の言葉を守るため。実は冷厳な帝国主義が背景にあるのですが、メル・ギブソンのつくりあげた、いかにも朴訥とした学者像によってそれがやや覆われてしまっているようにも感じます。

マジックアワーを活かしたようなオックスフォード界隈の風景描写に代表される映像の美しさや、手堅い演技の俳優陣に支えられているので見応えは相応にありました。特にショーン・ペンの狂気描写はさすが。