生誕110年記念 異才 辻晉堂の陶彫
■2020年10月31日〜11月23日
■美術館「えき」KYOTO
1910年に島根で生まれた辻晋堂の京都時代を回顧する展覧会。
入り口の案内板でびっくり。
明日11月8日の「日曜美術館」でこの作家が特集されるそうです。
今日は雨。
濡れたくなかったという理由で京都駅直結の伊勢丹内にあるこの美術館に出向きました。
土曜日の昼過ぎ、数えるほどの鑑賞者。
快適でした。
でも日美が取り上げると途端に混んだりするので間一髪だったかもしれません。
辻は抽象風の版画も多く残していて、その中の一枚、「二奇漢」が展示されています。
宇宙人のように輝く奇妙な男の一人は下村良之介。
パンリアル美術協会の中心人物の一人です。
今年、2020年3月、関西前衛美術界に大きな名を残したこのグループがひっそりと解散しました。
現在京都国立近代美術館のコレクション展で彼らの作品が回顧されています。
辻はパンリアル美術協会に参加していたわけではありませんが、下村と親交があったことからわかるように、この協会の志向した革新性に共鳴していたのではないかと思われます。
とっくに彼らの時代は過ぎ去りましたが、辻生誕110年記念展の年にパンリアル協会解散。
偶然とはいえ不思議な縁を感じます。
45点。
ほとんどが辻独自の言葉である「陶彫」作品です。
辻は島根から上京した後、いわゆる池袋モンパルナスでまず活動した人。
京都に来たのは40歳近くに達してからです。
しかし、そこから彼の独創的な芸術が本格的に開花。
本展ではその京都時代の作品が主に展示されています。
陶芸でも彫刻でもない、あるいはそのどちらでもあるといっても良い「陶彫」。
オブジェという都合の良い言葉があって、広くとらえれば「陶彫」もその一つといえます。
しかし辻の場合、「やきもの」ということへの拘りが強く、オブジェと括るには確かに抵抗があります。
第29回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品された大型の作品がまず目に飛び込んで来ます。
「寒山」がそれ。
対の「拾得」と並んで未来からきた土偶のような存在感を放っています。
同じくヴェネツィアに運ばれた「沈黙」は一層抽象度が高まっていて焼かれた土そのものの肌合いと純化された形の取り合わせに惹かれます。
東山にまだたくさん窯があった昭和40年以前、辻の、形の本質に迫ろうとするスタンスが最も鋭く主張されます。
「東山にて」ではいくつか穿たれた方形の穴が何かを象徴しているような、何も表していないような。
それでいて、「窯」自体が形になったといえなくもありません。
抽象造形ばかりではなく、犬や猫、鳥といった動物の姿から独自の視線で形を捨象した陶彫もまとめて紹介されています。
京都市美術館が所蔵している「馬と人」がちょうど、「京都の美術250年の夢」展(京都市京セラ美術館)で展示されているので、今なら辻の動物たちを京都で一気に展観できます。
公害防止に関する法律によって東山での登り窯製作ができなくなると、電気窯による小ぶりの作品が多くなります。
しかし今度は落語に題材を取ったりと、洒脱さ、軽さが滲み出て、作風にむしろ幅が生じているようにも思えます。
この人は根にどこかユーモアのセンスを持っていたようで、単に前衛の鋭さだけで勝負していたわけではありません。
そこがいつまでも飽きられない個性となっているように感じます。
「えき」KYOTOの決して広くない展示室ではありますが、バランス良く作品が陳列されていてとても見やすい。
丁寧に解説書が添付されています。
辻作品をわかりやすく回顧することができる展覧会だと思います。
事前予約は不要。
体温チェックがあるのみですが、日美放映後に混雑した場合、どうなるか、わかりません。