■国葬 (2019) 監督: セルゲイ・ロズニツァ
あっけなく始まり、壮大に苦味ばっして終わる135分。
ロズニツァ編集によるスターリン葬送行進絵巻です。
スターリン死去に際して企図された国策映画「偉大なる別れ」。
その制作のため、200人を超えるカメラマンが動員され膨大な映像が残されたのだそうです。
でも結局映画として成立はしませんでした。
リトアニアで発見されたというこの映画の未編集アーカイヴ映像を使い、2019年にロズニツァが編み出したのが本作です。
スターリンは1953年3月5日に死去。
数日前に脳内出血で倒れています。
急死といえる状況でした。
国策映画の企画も当然にその時点では間に合っていなかったと思われます。
葬儀場に運び込まれるスターリンの棺の映像は、あっけないほど短く終わってしまいます。
実質的な葬送絵巻はこの後、当局による国民へのスターリン死去報知シーンから始まります。
しかし、そこからはとんでもない長さで延々とソ連国民の顔が映されていきます。
次から次へと顔、顔、顔。
モスクワだけでなく、極東ウラジオストク、連邦を構成していたバルト海諸国、ベラルーシ、ウクライナ。各地の群集映像が続きます。
東側共産諸国からの弔問団の様子に加え、中国代表周恩来の姿も写されています。
様々なカメラからとられているので、一連のシーンがカラーとモノクロでつながったりします。
しかしその編集の流れが巧妙なので、まったく気にならない、というか、むしろ臨場感が湧いてくる不思議。
流される音声は国営放送アナウンサーたちによる荘厳なナレーション。
野外の群集に呼びかけられるように、すべてそれらしい残響エフェクトが付与されています。
ストーリーテラーは存在しません。
シナリオも無い。
ただただ、スターリン死去の報に接した群集たちの表情、行進、参列の様子が流されていくだけ。
なのに、なぜこんなに緊張感をもって画面に吸い寄せられてしまうのでしょうか。
一つにはソース映像が「未編集」だったことがあげられると思います。
国策映画の目的は偉大な指導者の死を悼む忠良な市民・労働者たちの表情を映しとること。
悲嘆にくれる女性たちの表情や、コミュニズムに邁進しようと決意を新たにしている労働者たちの姿だけに利用価値があります。
でも、映画は作られませんでした。
結果として、理想的な国民の顔に加えて、いわば群集の「素」の表情も捨てられることなく、残されることになりました。
もちろん、タイミングからみて、モスクワから遠く離れた連邦諸地域の人々までもがリアルタイムに葬送の現場を知っていたとは思われません。
後から国策映画人とカメラマンたちが、それらしい演技指導を加えて撮影されたとみられる場面も散見されます。
カメラが回っていることを意識した人々も当然に映し出されています。
すべてが「素」であるはずがありませんが、演出に従う国民も、カメラとその背後にある共産党指導部の視線を意識した労働者たちも、丸ごと紛れもなく葬儀に立ち会ったソ連国民の姿。
ロズニツァはあえて延々と市井のソ連国民が宿した表情と振る舞いをこの「国葬」で用いることによって、その時の群集の真のすがたを提示している。
だから、本物感が圧倒的に迫ってくることになります。
もう一つは逆に、ロズニツァが仕掛けた、威力満点の演出効果。
音響。
サウンドトラックの凄さです。
おそらく元となったソース映像の音響とは違う、雑踏や様々なノイズが、あたかも映像と不可分であるかのように糾合されています。
これは、作為的な編集ですが、その作為によってなんでもない映像に驚異的な迫真性が付与されます。
ロズニツァ・マジックといっても良いかもしれません。
モーツァルト(レクイエム)やチャイコフスキー(第5交響曲と悲愴)の音楽が周到に、まるでその場で奏されていたかのように、遠近感まで含めて映像に絡みついていきます。
棺がレーニン廟に運びこまれる場面で「国葬」はクライマックスをむかえます。
弔砲の轟音が鳴る中、ソ連各地で一斉に民衆が首を垂れてスターリンを悼む。
ショパンの葬送行進曲がさらに映像をグッと盛り上げ。
このシーンは幻に終わった国策映画にロズニツァが敬意をはらっているように見えます。
相当に皮肉混じりではあるのでしょうけれど。
フルシチョフが葬儀の式次第を進める中、次期指導者としてマレンコフの名が告げられます。
彼による弔意のスピーチは悲壮感に満ちた格調高いもの。
でも、最後にスピーチしたモロトフはどこか醒めているというか、やや明るさすら感じられる話しぶり。
一時、スターリンから疎まれていたモロトフの複雑な心境が、克明に残された映像と音声から伝わってきたようにも感じます。
モロトフとスターリンの関係については、下斗米伸夫の『ソビエト連邦史』を読んでいたのでそう感じてしまったのかもしれませんが。
未編集ソース映像の生地を活かしながら、音については徹底して練り込んだ演出を施す。
出来上がった映画「国葬」は観る者にその場に居合わせたかのような錯覚をひきおこす、恐ろしい作品だと思います。