並河靖之七宝記念館 秋季特別展 並河七宝の開花
■2020年9月4日〜12月13日
今回の特別展ポスターに配されている「鳳凰文食籠」は並河靖之最初の作品とのこと。
1873(明治6)年の作です。
当時並河が仕えていた久邇宮朝彦親王に献上されましたが、後年、作家はその出来を恥じて別の作品と取り替え、この器は返してもらったという由緒を持ちます。
現在は並河家の家宝として記念館に収まっていて、収蔵品図録の最初を飾っているのも本作です。
この食籠からは、並河全盛期の深みと透明感と艶やかさを併せ持った作品と比べると、全体にくすんだ色合いを感じます。
図柄も重々しく、装飾が器全体を覆ってしまっているので、並河七宝らしい繊細さはほとんど感じられません。
しかし、鈍く色彩を放つターコイズブルーの美しさは、はじめて自らの成功作として容認しただけあって、独特の魅力が感じられます。
並河靖之という工芸家ほど不思議な経歴をもった人はなかなかいないと思います。
最初の作品を完成させた時、すでに30歳近い。
それまでは青蓮院宮付きの坊官で、七宝どころか工芸製作そのものにほとんど縁がなかった人です。
幕末明治に活躍した超絶技巧の持ち主といわれる人々は、例えば宮川香山は陶工、正阿弥勝義は彫金師といったように、それぞれ家業を継ぐかたちで技を習得。
柴田是信にしても家業は違ったものの、幼い時から蒔絵の修行に入るような、絵画工芸に近い環境で育っています。
しかし並河はいわば皇族付きのサラリーマン武士です。
今でいえば公務員の家に育ち、若い頃に美術工芸の修行をしたという記録も確認できないようです。
いきなり有線七宝の気が遠くなるような技巧をどうやって身につけたのか。
生来、ミクロな技を可能とした繊細な運動神経の持ち主だったとしか言いようがありません。
ただ、この人のデザインには、若き日の青蓮院宮勤務で身につけた独自のセンスがみられるように思います。
記念館に残る品々の多くは、上品な色彩選びと余白を残した典雅なモチーフが特徴的。
宮とその周囲が醸していた美意識が自然と身についていったのではないか推察されます。
特にこの記念館内には、売り物として外に出されなかったせいか、並河靖之が本来好んだであろう図像が現されている作品が多いように感じます。
清水三年坂美術館や東博、京近美、三の丸尚蔵館に収められた豪華な器も素晴らしいですが、小ぶりで、饒舌さを慎んだような並河靖之七宝記念館の品々もとても魅力的だと思います。
この記念館は七代目小川治兵衛(植治)、若き頃の作庭も見所です。
疎水の水を引き込んだ池にまるで家屋が浮かぶような独特の景色。
小さい庭ですが、置き石から灯籠まで、これでもかとみどころを配した植治の技巧的な景色づくりに加え、高い塀と木々が囲むのでここだけ別世界が現出します。
豊富に水をたたえた池に豊かな緑。兼好法師のアドバイスに従ったのか「夏」を考えて作られたかのようです。
紅葉はさほど関係ありません。
だから今の時季も滅多に混雑することはないと思われます。
そこが狙い目。
平日の昼下がり、ほとんど無人でした。
表情豊かな庭石の数々。
じっくり植治の庭と向き合うことができました。
並河邸のガラスは所々波打っているように光が屈折します。
相当前に作られたものがいまだに現役。
家の中から眺める庭もまた素晴らしい。
11月下旬現在、並河靖之七宝記念館は事前予約不要。
特段コロナ関連の無意味な制約はかかっていませんでした。
快適なひとときを過ごすことができました。