安楽寺 八角三重塔の孤高美

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様々な意味で「孤高の塔」ともいうべき安楽寺の国宝。

塩田平一帯は「信州の鎌倉」といわれますが、五山の堂塔が立ち並ぶ鎌倉とは規模がまったく違いますから、観光地のキャッチフレーズとしてやや誇張が入っているように感じます。

しかし、鎌倉時代、1270年代末から幕府滅亡までの約50年間、ここには鎌倉北条氏一門の北条義政とその子孫が一時代を築いていました。

歴史的にみれば、誇張でも何でもないともいえます。

ただ、別所温泉の奥、山中に屹立するこの八角三重塔をみた時、京都からも鎌倉からも遠いこの地でなぜこんなに美しい建築がつくられ、しかも、いままで破壊もされず朽ちもせず残されてきたのか。
その存在自体の孤高性にまず驚きます。

 

本堂などがある平地からかなり高い山の中に造成された墓地。
そこを見守るように建てられているのがこの塔。
下から階段を上がっていくと木立の合間から陽光に照らされた屋根の木組が見えてきます。
決して大きな塔ではないのですが、みっちりと組まれた斗栱の密度とリズミカルな形式美に圧倒されます。

様式としては禅宗様とされます。
しかし、そもそもこのような塔の類例がないので、スタイルとしても孤高。
一番下の屋根は裳階で、これだけがやや大きく、上にのる三重の階層はほとんど同じ規模。下から見上げるとそれぞれの屋根の角が重なって気高い表情が生まれます。
中国から伝わった様式なのに屋根は柿葺で角度もさほど反り上がっていない。
全体として伝わるのはこの塔しか持ち得ていない気品そのものです。

 

塩田流北条氏の嫡流は鎌倉陥落時に同地でみな自害してしまい、土地の主人をなくした結果、塔自体の来歴もほとんどわからなくなっていました。

しかし2004(平成16)年、奈良文化財研究所埋蔵文化財センターの科学調査が入り、木材の伐採年から推定し、1290年代の建立であることが判明。
つまり鎌倉時代末期の建築。とてつもなく貴重な文化財です。

もし塩田流北条氏が鎌倉に馳せ参じず、信州塩田平の地で宮方を迎え撃っていれば、この塔も戦火に巻き込まれた可能性があります。
三重塔の周りだけが、ポッカリとタイムスリップしているような雰囲気を感じさせるのは、歴史の流れの中で偶然、取り残されてしまったかのようなその来歴そのものに因があるのかもしれません。

 

惜しいのは塔の周りが全て墓地なので、一般観光客の立入が制限されている点。
墓地を上がった高台からこの塔をみることができません。
かなり限られたエリアからまさに「仰ぎ見る」ことしかできない。
寺の説明によると、塔はそもそも仰ぎ見るものとされていて、それをいわれてしまうとその通りなのでしょうけれど、鎌倉末期の宝石のようなこの建築物の全容を観賞したいという欲求は残ります。

 

2020年11月下旬現在、安楽寺はコロナによる入場制限はなく、300円の拝観料で普通に観賞できます。
平日の昼過ぎ、ほとんど参拝者はおらず、無人の美空間を堪能することができました。

本堂の広々とした縁側でひなたぼっこなども楽しめるので共同湯めぐりの合間にうってつけ。
ただかなり階段や坂を登りますから湯疲れでフラフラした状態での入山は危険です。

 

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安楽寺 国宝八角三重塔