ミヒャエル・ボレマンス マーク・マンダース | ダブル・サイレンス
■2020年9月19日〜2021年2月28日
■金沢21世紀美術館
身体の神話、または神話的身体が出現しています。
繊細な色彩と描画が生み出すボレマンスの絵画に写された人物。
一見、瑞々しい具象画です。
でもそこに描かれた身体は不自然にある部分が欠落していたり、隠されていたり。
消された下半身。
黒く塗りつぶされた顔。
特定の具象的人物像が「欠落」によって、謎めいた神話性を帯びて浮かびあがってきます。
他方、マンダースによって創造された人物を象った巨大なオブジェは、圧倒的質量感を伴い、どこか古代ローマの皇帝頭像を思わせる、遠い過去から伝わってきたようなオーラを静かに放っています。
ミヒャエル・ボレマンス(Michaël Borremans 1963-)は2014年、原美術館が特集し、ギャラリー小柳や建仁寺両足院でも作品が展示されたようです。
マーク・マンダースMark Manders 1968-)は2015年、ギャラリー小柳が紹介していますが、まとまった来日展は今回が初めてとなります。
マンダースの「4つの黄色い縦のコンポジション」は巨大な4体の胸像。
金沢21世紀美術館第7展示室を丸ごと独占して展示されています。
大変な迫力です。
しかし、全体から漂うのは、不思議な静けさ。
閉じられた眼と顔面に痛々しく垂直に差し込まれた黄色い板。
内省、あるいは瞑想しているのか、あるいは何かを拒絶しているのか。
一見、柔らかい粘土で造形されているように見えますが、これはわざわざブロンズを加工したもの。
生乾き感と崩落感が同居する独特の触覚的効果を生み出しています。
「乾いた土の頭部」も同様のマテリアルで造形。
まるで展示中、剥がれ落ちたかのように土が周囲に散らばっています。
これは作家の指示で作為的に置かれたものなのだそうです。
そう説明を受けなければ、ボロボロと像から粘土が崩落していくような錯覚を覚えてしまう。
とても静かに、「時間」の経過が像に込められているかのようです。
展示の最後に置かれた「狐/鼠/ベルト」に象徴されるように、マンダースの作品にはどこか「死」のイメージが漂います。
しかし、それは硬直した死の世界というより、時間が別次元で流れては止まっているような不思議な静謐さ、あるいは寓話的、神話的な存在の世界をあらわしていると感じます。
ボレマンスの「天使」はとても大きな女性の具象画。
うつむいた女の顔は黒く塗られていますが、皮膚の質感まで伝わってくるように描画自体は生々しい。
展示されている映像作品の中で画家はフラゴナールに強く影響されたことを語っています。
ロココの巨匠に学んだその繊細な筆致と色彩技法が、この人の作品特有のデリケートな美の根底にあるのかもしれません。
ボンデージをあらわしたような刺激的な図像を扱っているのに、いささかも下品さが感じられない。
それでいて、「身体」の持つ異形の存在感が際立ちます。
「ジャム」ではパンを頬張る人物が描かれています。
色調は鮮やかでどこか優雅ですらあるのですが、とらえられているのは生理的な人間の仕草そのもの。
技法の洗練が生々しさに寓意性、神話性を与えているので、本来は見るに耐えない題材が、独特の美しさを伴って表現されているようです。
バルテュスは、ヨーロッパ具象絵画伝統における最後の一人と自認していましたが、ボレマンスの絵画も古典の世界を一度通過して得られた技法が具象に生かされているという意味で、その伝統を現代につないでいるのではないかとすら思えます。
ボレマンスは自作の展示レイアウトにとてもこだわる人として知られています。
余白を贅沢に使った金沢21世紀美術館での展示は彼の意向に沿ったものなのでしょう。
なおマーク・マンダースに関しては来年3月、東京都現代美術館で日本初の個展が開催されることなったそうです。
金沢での展示をおそらく引き継ぐ部分もあると思われます。
こちらも楽しみです。