池内紀の「幻獣」エッセイ

 

幻獣の話 (講談社学術文庫)

幻獣の話 (講談社学術文庫)

  • 作者:池内 紀
  • 発売日: 2020/11/12
  • メディア: 文庫
 

 

■ 池内紀 著 『幻獣の話』 (講談社学術文庫)

 

昨年2019年に亡くなった池内紀の幻獣アンソロジーです。

元は1994年、講談社新書として上梓されていた本。

特に改訂や増補などの注記はありませんから、そのまま学術文庫として再販されたようです。

 

ケンタウロス、オドラデク、マンドラゴラ、恙(つつが)、鵼など、洋の東西を問わず幻獣たちがたくさんとりあげられています。

新しいところではゴジラまで。

この分野、というのも変ですが、幻獣といえば、澁澤龍彦種村季弘荒俣宏といった大家たちがいるわけで、著者もそのあたりはわきまえてか、例えばマンドラゴラについての記述などはかなりあっさり。

数行で紹介し終わってしまう幻獣たちも多い。

全体を通して特定の脈略を設定することはなく、思いのままに幻獣たちを題材に紡いだエッセイ集と言えなくもありません。

どこかボルヘスを意識したようなところもあります。

語り口も学術っぽさはほとんどなく、着流しで書かれたような文章。

170数ページ。

2,3時間もあれば読み終えてしまうと思います。

 

ボードレールゴヤのサトゥルヌスを交わらせた一文のように、西洋系の話も面白いのですが、後段で取り上げている日本人三人に関する文章に特に惹かれました。


まず高井鴻山(こうざん)。

小布施の豪商に生まれた画家で、晩年の葛飾北斎をこの地に招いたことでも知られる人。

池内は温泉好きでも有名だったので信州にはよく足を伸ばしたのでしょう。

小布施の酒を褒めています。

北斎よりも鴻山に興味をもったという著者の紹介するところによると、鴻山は晩年に至って妖怪の図を好んで描いたのだそうです。

虎図で有名な岸駒にも学んだというこの画家の妖怪図はさまざまな奇獣が組み合されたキメラのよう。

明治新政府に建白書を提出するほどの気骨をも持っていたという鴻山。

結局、特に政治的な成果を得ることなく老いて小布施で妖怪を描き続けました。

複雑に屈折した生涯。

興味がわきました。

 

次いで小川芋銭

河童の画家です。

著者は芋銭の河童絵にのぞむ心得を次のように紹介。

 

「河童の描き方について、芋銭自身は、河童は何よりもその眼に「まぼろし」をもっていなくてはならず、まぼろしとは河童のこころを出すのであって、霞のなかにピカリと光る鋭さのようなものだ、といった意味のことを述べている。」(P.111)

 

本書に挿入されている芋銭の「水虎と其眷属」(愛知県美術館)を見ると、画家自身が開陳した河童絵心得がまさしく実践されていることを感得することができます。

 

最後は徳川三代将軍家光です。

父秀忠が造営した日光東照宮をことごとく幻獣の宮殿に造り替えたその異常な行動。

先日東京国立博物館で開催された「桃山」展に、狩野探幽が描いた「東照大権現霊夢像」が展示されていました。

これは家光が夢にみた家康の姿を写したもの。

自らを家康の生まれ変わりと信じていた家光はしばしば夢に見た祖父の像を描かせたといわれています。

徳川体制の基礎を固めた立派な将軍というイメージの家光ですが、異様なまでの家康への崇敬はどこかエキセントリックな思想趣向の持ち主でもあったことをうかがわせます。

 

何よりこの人は自らも筆をとって動物の絵を描き、それがとても写実とはかけ離れていて、見ようによっては「幻獣」ともいえます。

単に下手だったということを超えて不思議な愛嬌をたたえた兎の図などは近年注目を浴びてもいるほど。

 

東照宮陽明門には夥しい幻獣が彫られています。

そのいちいちを判別することは難しいのですが、著者によると見方にコツがあるのだとか。

今度日光に出向く時にはこの本をハンドブックがわりに異形の図像学を楽しんで見たくもなってきます。

 

「無駄で横道にそれた知識には一種のけだるい喜びがある」

ボルヘスが『幻獣辞典』の英語版の序で語ったこの一言を著者はあとがきで引用しています。

本書ではまさにこの「喜び」を味わえると思います。