原武史著『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』(講談社学術文庫)
1998年に講談社選書メチエとして出版された本。
今年2020年、文庫化されました。
「学術文庫版あとがき」によると、もともと著者は本書のタイトルを「『私鉄王国』大阪の近代」としたかったとのこと。
編集者の「これでは東京で売れない」との助言をうけて「大阪対東京」のイメージが強いこの書名になったのだそうです。
また、これも同じ「あとがき」にありますが、小熊英二が本書について「二項対立的で単純な図式に基づいている」と批判したこともあるのだとか。
読んでみると、本書の内容はやはり著者が最初に考案した書名の方が相応しいことがわかります。
確かに、東京の私鉄に関して、JRの駅に対して従属的なその駅の配置とか、一見批判めいたことが書かれていますが、在京の鉄道各社が、駅の建設について大阪を特段意識していたわけではないし、関西の私鉄が東京に対抗心を持って路線や駅を計画したわけでもありません。
また「官」を代表する鉄道省にしても関西私鉄のやや脱法的ともいえる路線敷設について「見て見ぬふり」をしていた面もあり、「官」と「民」の対立が全面的に先鋭化していたとはどうも思えません。
鉄道会社同士の関係を見れば、実は、「大阪対東京」の図式はほとんど確認できないともいえます。
〇〇vs〇〇という二項対立が際立つのは本書の一部、「阪急クロス問題」として扱われている阪急・小林一三と、鉄道省・新聞メディア連合の闘争くらいです。
著者が描こうとしているのは、東京を中心とした「官」との関係をどのように関西の私鉄がとろうとしてきたか、その「距離感」の変遷です。
しかし、単純に「官」と「民」の関係という構図だけではなく、そこに昭和天皇や、「ミナミの浪漫主義」という、なにやら割り切れない要素が絡んでくるところが本書の面白いところです。
なお「阪急クロス問題」とは、元々地上駅だった東海道線大阪駅を高架化する際、それまで東海道線の上を跨いでいた阪急の高架駅を地上駅に切り替えるという1934年の「逆転劇」のこと。
国鉄の大動脈を「見下ろして」絶頂期にいた阪急小林一三が「官」によって一敗地に塗れてしまった一件です。
今の場所からは想像できませんが、当時の阪急梅田駅は、現在のJR大阪駅より南側にあったのだそうです。
御堂筋を大拡張したことでも有名な大阪市長、関一。
市の職員たちは渋る沿道の地権者たちに、「天皇が行幸されたときにお歩きになる道をつくるんや」と言って納得させたそうです(P.154)。
これにはすでに摂政時代、大阪に行啓した皇太子時代の昭和天皇のイメージが大きく寄与していると著者は指摘しています。
「歴史の空白地帯」と著者が言う淀川から北のエリア。
そこに目をつけたのが小林一三でした。
娯楽と明るい住宅地を兼備した新鉄道路線、阪急の誕生です。
他方、天皇の度重なる大阪行幸により、特に大阪南部を走る南海・大軌(近鉄)は次第に「神話」エリアとの結びつきを強くしていきます。
小林一三が開拓した「合理主義」の「キタ」に対して、古代難波津の由来にまで遡っていく「ミナミ」の「浪漫主義」。
大軌(近鉄)の金森又一郎は奈良や伊勢とのネットワークをひろげ「帝都」を超えた「神都」につながっていきます。
民族主義ではなく「浪漫主義」としているところに著者の言葉選びに関するセンスを感じます。
やや諸要素を区切るエッジが立ちすぎているように感じるところがありますが、それが本書に独特の読み応えを与えてもいると思います。
なお文庫化にあたり、ピタパの登場など、関西私鉄の最近の動向に合わせた加筆が行われています。