パラジャーノフ「アシク・ケリブ」

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「アシク・ケリブ」 (1988年 ソ連)

 配給: パンドラ

 出演: ユーリー・ムゴヤン、ヴェロニカ・メトニーゼ、ソフィコ・チアウレリ他
 脚本: ギーヤ・バドリーゼ
 撮影: アルベルト・ヤプリヤン
 音楽: ジャヴァンシル・クリエフ
 監督: セルゲイ・パラジャーノフダヴィッド・アバシーゼ

 

前作「スラム砦の伝説」から4年、ソビエト連邦崩壊前夜に製作されたパラジャーノフの遺作。
年末年始をはさみながら京都みなみ会館で上映されている「パラジャーノフ特集」で鑑賞しました。


すでにゴルバチョフペレストロイカが進行し、パラジャーノフもある程度自由に映画を撮れるようになった時期の作品。
でも作風としては「スラム砦」よりむしろ明快で、この監督独特の幻想的世界観はやや後退しているようにも感じます。
もっともこれは「ざくろの色」や「スラム砦」と比べたら、という話で、「アシク・ケリブ」単体でみれば、やはり、どうしようもなく特異な作品であることに変わりはありません。

 

幻想説話映画「スラム砦」にも一応筋書きがありました。
しかし「アシク・ケリブ」ではレールモントフの詩をベースにしたという比較的明快なストーリーがあり、観ていて突然幻夢世界に落ちてしまうような混乱はさほどみられません。
結婚を妨害されて旅に出ざるをえなくなったある吟遊詩人の流浪譚。
「光を失った人々」「音を失った人々」の結婚式、ハーレムを営む「将軍」や戦争好きの「王」との遭遇などを経て、最後はめでたく結ばれるという御伽噺。
鳩や柘榴といった象徴的モチーフの扱いもさほど謎めいたものにはなっていません。

 

アシク・ケリブの求婚をはねつける、娘の父親。西田敏行似の膨れ上がった相貌を覆う独特の白塗的素地。
くっきりアイラインが描かれたメイク。アシク・ケリブとその家族を侮辱する振る舞いは民族舞踊の所作を単純化したようにもみえます。
もう一人、詩人が出会う「将軍」。
こちらの顔面もまるで仮面をつけたかのような厚い化粧で覆われ、動きは野卑た祭神のよう。
それぞれ顔面がこれ以上は無理と思えるほどクローズアップされ、異形の表情を際立たせる。
顔の表情というより「眼球」の動きでキャラクターを語らせるような奇妙な演出。

しかし、この人物描写はパラジャーノフ作品にしては、「類例」を想像させる要素でもあります。
エイゼンシュタインの「イワン雷帝」。
クローズアップされた人物たちによる究極の顔芸がみられることで有名な作品。
そして、その表現手法はエイゼンシュタインがおそらく影響を受けたという、歌舞伎の世界に直結します。
だから、「ざくろ」や「スラム砦」ほどには異次元的美観を感じさせないのかもしれない。
孤高に特異にすぎるパラジャーノフの語法がこの作品では我々が知っている他の類似様式とわずかに繋がっている。
一種のわかりやすい様式化が「アシク・ケリブ」では感得できると思います。

 

とはいえ、全編をほとんど隙間なく覆うアラブ風ともアルメニア風とも、要するになんだかよくわからない中東もしくは中央アジア的音楽の放つ異様なサウンドの中毒性。
さらに突然ハーレムの美女たちが現代の小銃をぶっ放すあたりに代表される時空の歪み。

まさに「パラジャーノフ世界」としか言いようがない表現が続く70数分間。
これが最後になってしまったこと自体が最も残念な作品です。

 

全編で特に印象的なシーンは、主人公が旅で出会った老吟遊詩人を葬るところ。
無数の人形を死者の傍におき、嘆きながら墓穴に土をかけていくアシク・ケリブ。
映画の最後、「タルコフスキーにこの映画を捧げる」というメッセージが示されます。
この映画が完成する2年前に亡くなったアンドレイ・タルコフスキーと老吟遊詩人。
何かつながっているものを感じました。

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