文化庁メディア芸術祭 京都展(2021)

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文化庁メディア芸術祭 京都展 科学者の見つけた詩 -世界を見つめる目-
 ■2021年1月5日〜13日
 ■京都文化博物館別館ホール

 

一連のコロナ事務を済ませて入場すると、まず2階展示室の映像作品を鑑賞するように誘導されました。

高嶺格の「ジャパン・シンドローム〜関西編」。
約30分の映像。
流されているのは3人のパフォーマーによるいくつもの会話劇。
2011年9月、関西のある場所で交わされたとみられる、人々のたわいのないやりとりが演じられています。

青果店で、尋ねにくそうに果物の産地を問う客。
それに対していかにも微妙に東北や福島産であることを答える店員。
水族館の魚が放射能に汚染されていないか心配する客。
「食べるわけではないので」と返すスタッフ。
和歌山の海辺で釣りをしている男性に、原発事故の影響が心配ではないのかと話しかける京都からきた観光客。

尋ねる側も答える側も、なぜか奥歯にものが挟まったかのような、宙に浮いたダイアローグに終始します。

誰も徹底的に問い詰めたり、反論したりはしない。
しかしそこには厳然と「見えない」膜のようなものが張られているようにも感じます。

表層に現れた見えないようで見えているもの。あるいはその逆。
可視と不可視の間を問うているような高嶺格らしい映像作品。

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この展覧会では湯川秀樹朝永振一郎中谷宇吉郎といった科学者たちの言葉やゆかりの品々を展示しながらさまざまな作品を散りばめ、科学とそれに関係しながらも、どうにも割り切れない問いのようなものを鑑賞者に投げかけてきます。

高野文子の漫画『ドミトリーともきんす』のエスプリが効いた原画を道案内人のように配置しているので、高嶺のかなりブラックな映像の後でも、落ち込むことなく楽しむことが出来ます。
でも毎日コロナと向き合っている日常の中で鑑賞すると、楽観的に科学のポエムを信じることはなかなかに難しい。

 

全てGoogleストリートビューから抜き出した画面をつないで創られた田村友一郎の擬似ロードムービーや、「鏡」の掴みとることが出来そうで出来ない「色」を表現したintextの造形物など、多様なメディアを用いた作品が展示されています。

 

木本圭子による映像作品。
漆黒の中に無限に変化していく数式によって描かれる造形。
すべてプログラミングされた数学に基づく図像なのに、まるで何か生命が生まれては分解されていくような深淵さが感じられます。
添えられた「自然は曲線を創り、人間は直線を創る」という湯川秀樹の言葉と共鳴しているような不思議な画像。

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先月、東九条の空き地で「霧の街のクロノトープ」を高谷史郎と組んで披露したばかりの中谷芙二子による「霧の彫刻」。
フランスの村や明日香村石舞台古墳を背景にした映像など3作品が流れさています。

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池田亮司の「data.scan」は小さい長方形のスクリーンに、点と線が次々と座標軸を変えながら一定のパルスに沿って遷移していくインスタレーション(高松市美術館蔵)。
ダムタイプの舞台や大型インスタレーションのエキスを小箱に詰めたような作品。
画面は小さいのに無限の座標が広がるような錯覚を覚えました。

 

事前予約不要の無料展覧会です。
平日の午後、混雑はありませんでした。
なお、並行して同館フィルムシアターで開催されている映画上映については事前予約が必要です。

kyoto2020.j-mediaarts.jp

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