INDUSTRIAL JP (文化庁メディア芸術祭京都展)

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1月5日から13日まで京都文化博物館で開催されている文化庁メディア芸術祭京都展。
展示コーナーとは別にフィルムセンターで過去の受賞作等を上映しています(無料・事前予約制)。


「短編プログラム」では10分前後の映像9作品まとめて上映。以下のラインナップ。

田中秀幸:電気グルーヴ「Fake It!」、「Missing Beats」、グループ魂「ベロベロ」
INDUSTRIAL JP
榊原澄人:浮楼
ぬQ:サイシュ〜ワ
ひらのりょう:ホリデイ
水尻自子:かまくら
石田祐康: Rain Town

 

いずれも独特の世界観が示されていて楽しめました。

kyoto2020.j-mediaarts.jp

 

INDUSTRIAL JPの映像をはじめて観ました。
バネやネジといった工業部品をひたすら造り続ける町工場の機械。
モノクロームに近いメタリックな色彩。
正確に、まるで一定のリズムを持ったように動作を継続する機械。
しかし、それぞれの機械は単調さとはかけ離れた実にさまざまな動きでおのおのの役割をこなしつつバネやビスを造り上げていきます。一つの世界が完結しているような錯覚に陥るほど見事なムーヴメント。

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その機械のリズムに音楽をシンクロさせるわけですが、これはよく考えてみると不思議な関係です。
機械の動きはおそらく最も製品を効率的に造りあげるように、それだけを目的に設計、運行されている。もはや機械を造った人の手を離れ、いわば純化された合理性の塊のような存在。
それに付随するINDUSTRIAL JPに関わった音楽家たちがつけた見事にシンクロするクラブミュージックは、そんな機械の合理性に、直接的にせよ間接的にせよ、従属していることになります。機械たちはおのおの独立して合理の城として完結しているので、音楽に合わせようという発想はそもそももちえないわけですから。
つまり、この映像では、人の作ったもの=音楽が、機械の合理美に接着された関係が延々と示されていることになります。

もちろん映像の速度等は作家たちの支配下にあると思われます。しかし、例えばバネを製造する機械とコラボした映像では、リズムという音楽を決定する主要素において、創作の主客が完全に逆転している。これは実はとんでもなくブラックな映像といえなくもありません。
INDUSTRIAL JPは「日本の町工場の凄さを世界に発信」といっていますが、それはちょっと表層的かなあとも感じました。

映像自体は魅惑的にすぎます。特に、摩擦を和らげるために夥しく流される油滴。官能的とすらいえる美しさ。豊穣、かつ、皮肉に美しいミニマル芸術。

 

ミニマル的な音楽と映像が繰り返されるという点で、この上映会の冒頭に流される田中秀幸+電気グルーヴの「Fake It!」はINDUSTRIAL JP作品と共通した要素を持っています。しかし、両者が決定的に違うのは映像対象物と、それにシンクロする音楽のリズム支配における立場。
「Fake It!」では延々と飛び込みを繰り返す個性を剥奪された水泳選手たちがベルトコンベアーに載せられた物体のように動いていく。しかし、彼らが音楽リズムを支配しているわけでは当然にありません。モノのようにうごかされていく水泳選手たちは一見何かの暗示のように思えますが、どこかユーモラス。音楽の主導は電気グルーヴにあるので非人間的に選手たちが動かされていても、そこには彼ら一流の洒落が効いているように感じます。

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ちょっと警句的な作品にもみえる「Fake It!」が冗談としての明るさを持つとすれば、INDUSTRIAL JPの作品は、機械の合理美、その揺るぎない魔力を持った器に「貼り付かされてしまった音楽」という点を考え出すと、実はこちらの方が恐ろしい、といえるかもしれません。

 

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