今年の文化庁メディア芸術祭京都展(2021.1.5〜1.13)で上映された「短編プログラム」9作品。
10分前後の映像が続きました。
短い時間の中で何を表現し続け、何を表現し終えるか。
田中秀幸やINDUSTRIAL JPのように、連続反復するミニマル的な語法をベースに世界を切り取っていく作品があった一方で、あたかも物語のはじめとおわりを円のようにつなぐ、いわば円環構造によって作品をかたち造っていたのが、ひらのりょうや石田祐康でした。
どちらの手法も時間制約を逆手にとって、それぞれに濃密な映像世界を創造していたように感じます。
反復と円環。
この短編映像作品に有効とみられる2つのスタイルを最もラディカルに合成していたのが、榊原澄人の「浮楼」です。
ある女性の一生が一つの画面で同時に何度も反復されるアニメーション。
絵巻物で「異時同図」という手法が取られますが、「浮楼」はまさに21世紀に再現された異時同図絵巻。
ただ、平安時代のそれよりも当然ながらはるかに手がこんだものです。
淡い色調で描かれた画面の中で、コウノトリに運ばれた女の子の赤ん坊が、やがて恋人と出会い、結婚し、そして老いていく。
その生涯が次元を幾重にも混交させながらトランスフォームされていくのですが、どこが始まりで、どこが終わりなのか、判然としません。
一人の女性の人生がまるでエッシャーの騙し絵のように無限ループを描くように続いていきます。
背景の色調が四季をあらわすように微妙に変化していくので、人間の時間と自然の時間が交響するようにも見えます。
いったいどこを観ているのか、次第によくわからなくなりながらも、何かが移ろっていき、そしてまた戻ってきていることはわかる、のです。
はじめのうちは、楽しそうなウェディングシーンに惹き寄せられます。
でも、次第に、彼女が年老いて橋を渡っていく情景に目が自然と移動してしまう。
死を暗示する渡橋の上から彼女が川に投げ入れた花束。
それが、流れめぐってプロポーズの花束に。
なんとも軽やかな輪廻の構図。
これは、無窮動のトリックアート絵本なのかもしれません。
タイトルの「浮楼」は、「Flow」の日英掛詞。
何層にも仕掛けがあるのに、映し出されている画面はあくまでも軽妙で、押し付けがましさがまったく感じられません。
不思議な世界が繰り返されていく中、時間感覚そのものがあやふやになっていくという意味で、至極上等な短編映画と感じました。