八坂神社 国宝化された本殿と重文西楼門

 

昨年2020年の秋頃から、四条河原町の髙島屋入り口に、八坂神社本殿が国宝に指定されたことを寿ぐメッセージが掲示されています。

もともと重要文化財だった本殿の国宝化をこの掲示ではじめて知りました。

八坂神社のHPによると、2020年12月23日、つまりつい先日、正式に官報で国宝指定が報知されたとのこと。

髙島屋の祝福メッセージはそれ以前から掲示されていましたから、10月の文化審議会による文科省への答申をもって事実上、国宝となっていました。

しかしいわれてみても、なぜか、本殿の明確なイメージが湧いきません。

ここへはもっぱら夜に来ることが多かったので照明の影にその姿が溶けてしまい全体像を思い出せないのです。

再確認のため、とても久しぶりに参詣してみました。

初詣の喧騒も終わり、緊急事態宣言がでているためか、案の定、境内は閑散。

こんなに人がいない八坂神社を初めてみました。

本殿はとても平たい印象を受ける独特の祇園造という様式。

礼堂を含めて三方に庇をめぐらせ大きく屋根で覆う特異な構造をもっています。

ゆったりと広がる屋根は平安時代のスタイルを伝えているといわれ、優美な曲線を描いています。

千木などの神社特有のモチーフが少なく、平面的な外観もあいまって、「国宝指定」といわれても即座に明確なイメージが想起できなかったようです。

これも神社のHPによると、1646(正保3)年、それまでの本殿が火災により消失

1654(承応3)年、徳川四代将軍家綱によって現在の姿に再建されたのだそうです。

その前の家光は京都のあちこちで神社仏閣を再建していますが、家綱の指示というのは比較的珍しい。

これ以降、幕府の直轄事業は行われていないそうです。

徳川幕府、京都での最後の大盤振る舞い。

それがこのお社。

さて八坂神社の顔といえば、本殿よりもむしろ四条通りの突き当たりにたつ西楼門でしょう。

東寺五重塔八坂の塔と並んで、京都といえばここ、というランドマーク。

あまりにもメジャーなのでついふらっと通りすぎてしまいますが、この西楼門の方が本殿よりも古い建物です。

1497(明応6)年、応仁の乱勃発から約30年後に建設された室町時代の建築。

奇跡的に残っている貴重な建物で、本殿ともども国宝指定されてしかるべきと思われるのですが、こちらは重要文化財のままです。

鮮やかな朱色に塗り直されていることもあって古さが伝わりにくいのかもしれません。

壮麗さより自然なバランスが尊ばれている姿は古式の美しさが残されていて、よく観ると味わい深い建物です。

特に四条通り側からではなく、神社の内側からみるとその飾り気がない美しいプロポーションがよくわかると思います。

 

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八坂神社 西楼門

西楼門の北側には絵馬堂があります。

その前には大丸によって奉納された提灯の棚。

四条通りで商う高島屋と大丸。

八坂神社との結びつきはどちらも相当に強いようです。

氏子と神社の強い関係性が文化的に重視されたことも今回の国宝化につながっています。

 

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www.yasaka-jinja.or.jp

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