ラルジャン (1983年)
出演: クリスチャン・パティ、カロリーヌ・ラング、ヴァンサン・リステルッチ、シルヴィ・ヴァン・デン・エルセン 他
撮影: パスクァリーノ・デ・サンティス、エマニュエル・マシェル
脚本・監督: ロベール・ブレッソン
(IVC IVBD-1160 Blu-ray )
先日「バルタザールどこへ行く」の4Kリストア版を劇場で鑑賞しました。
ブレッソンがまた観たくなって昔買ったこのBlu-rayを引っ張り出してみました。
やはり凄い。
80数分間、一気に魅入られてしまいました。
出演者の大半は素人といわれています。
ブレッソンが役者の「演技」を嫌ったのは有名ですが、この映画では演技というよりも「表情」そのものが人物から極限まで削ぎ落とされているように感じられます。
喜怒哀楽。
普通なら俳優たちがそのテクニックで示す「表情」がまったくといって良いほど消し去られています。
そればかりか、日常的なやりとりを描いた場面でも登場人物たちはほとんど笑顔すら見せません。
フランス人とはこんなに無愛想に暮らしているのかと、初めて観たとき誤解したほどです。
シナリオ上、突発的な怒りなど、どうしても感情を表面的にあらわさざるをえないようなシーンでは出演者の姿自体が消されます。
例えば写真店の店主が偽札をつかまされた妻を「ばか」となじるシーン。
声だけが響きます。
ではこの映画が無味乾燥な単なる似非ミニマル風アート映画かと言えば、正反対なのです。
どの場面からもなぜか登場人物たちの感情がダイレクトに伝わってきます。
名匠パスクァリーノ・デ・サンティスによる空間表現にも魅了されます。
もちろんブレッソンの指示もあるのでしょうが、アングルを一度決めたら、その視点はほとんど動きません。
人物の動きや表情をカメラがトレースするのではなく、あらかじめ構成された画面内の配置の中で人物・事物がその存在を静かに、しかし、確固として主張します。
主人公である男のオイルにまみれた手袋と油管を扱う仕草。
それだけでこの男がどういう生き方をしていてるのかわからせてしまう奥深い撮影術に驚きます。
さらにこの映画の圧倒的に純化されたリアリズムを支えているのが、サウンド・トラックです。
映画のために作曲されたオリジナル音楽はもとより、そもそもBGMの類がありません。
わずかに登場人物の一人、老ピアノ教師が劇中で奏でるバッハの半音階的幻想曲の一部が音楽らしい音楽として聴こえるだけです。
ATMの無機質なシャッター音。
お札を取り出したときの紙が擦れるノイズ。
開閉される扉の響き。
何気ない音がひどく存在感を持って耳に届いてくるのです。
主人公が刑務所の中で物を落としたり擦ったりする金属音。
老ピアノ教師がピアノの脇から落として割れてしまうワイングラスの音。
音の全てに意味がこめられているように感じてしまいます。
「音楽」がないサウンドトラック。
強烈です。
計算された画面構成と生々しいリアリズム音響。
そして峻厳な"L'argent"=「お金」がひきおこす極端に冷酷な悲劇的寓話としてのシナリオ。
これだけ研ぎ澄まされた枠組みが極まると、人物の表情が、もはや、ノイズになってしまうのかもしれません。
俳優の演技が中途半端に入りこめばこむほど、リアルから遠ざかって、余計な夾雑物として邪魔になるのでしょう。
ブレッソンによる極限の映画芸術が繰り広げられています。
「バルタザールどこへ行く」では人間の代わりにロバに演技的要素を託していたブレッソンは、最後の作品で、もはや完全にあらゆる事物から演技のノイズを取り払ってしまい、「存在」そのものの有り様だけで語ろうとしています。
一瞬も目が離せない映像作品です。
大傑作であることを再確認しました。
一枚の偽札から話が始まり、罪と罰が連鎖していきます。
最初に偽札を写真店で使った学生はやがてそれがバレて親から謹慎処分を受けます。
その親から口止めの謝礼を受け取った写真店の経営者夫婦は従業員の男に騙されたあげく、金庫の中まで彼に盗られてしまう。
写真店から金を奪った元従業員の青年は義賊を気取ってATM荒し等に手を染めますが、こちらも結局逮捕。
主人公の燃料配達員の男は偽札使用の冤罪から刑務所送りになり、出所後、とんでもない殺人鬼になり果ててしまいます。
どんどん罪と罰が一枚の偽札から拡散し、重々しくなっていきます。
下手に芝居をさせたらトルストイの原作を表面的に追った辛気臭い教訓話に堕してしまうストーリーです。
しかし、画と音のフレームと不純物が取り除かれた人物・事物のムーヴメントが合体した時、現代の神話のような辛い崇高さが立ち上がってきます。
IVCのBlu-rayは特にサウンド・トラックの質感をしっかり再現していると思います。
1983年、カンヌ映画祭におけるこの映画のポスターを再現したライナーノートもちょっとお洒落です。