砥綿正之+松本泰章 DIVINA COMMEDIA

 

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今年(2021年)1月23日から京都市京セラ美術館ではじまった「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ) 1989–2019」。

 

大きな暗室の中で、ある映像作品が上映されています。
"DIVINA COMMEDIA" 
ダンテの『神曲』と題された作品。

 

長くタイトル画像が提示されたあと、防護服に身を包んだ人々の横たわる姿が、強いストロボ閃光に照らされて明滅します。

死んでいるのか生きているのか。

この、何かに浮かんでいるような人たちを眺める一人の女性が確認できます。
嘲笑っているのか、鎮魂しているのか、単に眺めているだけなのか。

映像が象徴しているのは、放射能? それともコロナ?
とすれば、前者はともかく、後者は「平成」ではなく「令和」の象徴になってしまう。
予備知識なく観ると、展覧会の趣旨にそぐわない、なんだかよくわからない展示。


実はこの映像、3.11でもCOVID-19の象徴でもなんでもありません。

1991(平成3)年、神戸のジーベックホールで開催された「幻の」インスタレーション
防護服のように見えるのは、実は、「防塵服」。
放射線や新型ウィルスから人を守るものではなく、人から出される「塵」を外に撒き散らさないための膜。半導体工場のクリーンルームで使われている、あの服です。
つまり人と外界の間を「防ぐ」という装置の表象が、平成初期と令和では逆転してしまっている。
30年前のインスタレーション映像が、反転して突き刺さる現在。

 

この作品がどのように創られたのか。
会場では作者、松本泰章が黒澤伸のインタビューに応えた映像が流れさています。
(なお、共作者である砥綿正之氏は2019年、逝去。松本さんがときおり悲しそうに映像の中で、追想しています。)

当初、この作品はMegadeath「メガデス」と名付けられようとしていたとか。
大量死。です。
ところが、同名のロックバンドがいることに気がつき、ダンテの『神曲』にタイトルを変更。
しかしこのことによって、地獄、煉獄、天国を彷徨うという、インスタレーションのテーマが確定したのだそうです。

10トンもの食用ゼリーを溜め込んだプール。
そこに防塵服をきた観客がブラックライトに照らされながら浸りこんでいく。
ゼリーに漂う観客は擬似無重力感覚を覚えながら、強烈な閃光と音楽に曝されるという趣向。
防塵服はゼリーと身体との直接的な接触を妨げるために着用されているのですが、ブラックライトの下、表情が消された白い身体図像は、明らかに「死」を想起させます。
プールに腰掛けて鑑賞者を見守る女性は、『神曲』のベアトリーチェ
彼女を包んでいる服は当時の最先端ブランド、ヘルムート・ラングのデザインによるもの。

 

インタビュワーの黒澤伸は、当時、実際にこのインスタレーションを体験したと語っています。
彼はこの作品が、当時注目されていた「臨死体験」(立花隆の著作やケン・ラッセルアルタード・ステーツ」などに代表される)と共通した要素をもっていたのではないかと指摘。

 

1991年。平成3年。
まさにバブル経済崩壊の直前。
神戸でこのインスタレーションを体験することができた人は250人程度なのだそうです。
製菓会社の協力でつくられた10トンのゼリー。
長期間使い続けることは当然にできなかった。
6日間程度の体験展示で終了。
時給がとても高かったというバブル期の鳶職たちによる、プールと照明装置を組む仕事ぶりを松本は「とてもかっこよかった」と無邪気に追想しています。

しかし、今、このインスタレーションを当時の通り完全に同じ素材を用いて再現できるかといえば、まず無理でしょう。
物理的・経済的に無理、ということではなくて、ちょっと前に流行った言葉で言えば、「エシカル」にダメ出しされてしまう。
ゼリーは食用。
「終わったあとは当然に全部食べるんだよね?」
「捨てるにしても、どこに、どうやって捨てるの?」
とか。
あっという間に炎上。
灰も残らないくらいに。
膨大なマンパワーに対して、この「経験」に浴することができる人の数は?
こんな問い、というか抗議がすぐ殺到しそうです。
さらに、これがとても重要ですが、その抗議を「笑う」ことが、もはや、できない。

平成最初のディケイドでは、急速に冷え込む日本社会ではあったけれど、まだ、こういう抗議、またはその抗議の繁茂を想像させるような雰囲気はなかったように思われます。

「余裕」というのとはちょっと違うけれども、平成初期には、未経験の世界に対するアート側の率直な追求に対して、それを社会がことさらノイジー咎めることはなかった。
咎めたい気持ちや意見があっても、それを表明することが、むしろとてつもなくダサいという雰囲気が保持されていたように思います。
それがよかったのか、悪しきことだったのか。今や誰も正解は出せないわけですが。


そして、令和の現在、予備知識なくこの映像を見たら、「防塵服」は「防護服」にすり替わってしまう。
幾重にも意味と価値が宙返りする映像。
大音響の音楽と眩暈を覚えるようなストロボフラッシュで当時の様子が回顧されています。
暗室には一席だけ、ル・コルビジュエのLC4シューズロングのような椅子が画面と正対する形で用意されています。
ゼリーに漂う感覚に近い姿勢で鑑賞することができるような配慮なのでしょう。
(私は座りませんでしたけど)

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