「勢至堂」は知恩院境内の最も奥まったところにあります。
江戸初期に建てられた有名な国宝の三門、御影堂がもつ荘重さはありません。
中規模の入母屋造り。
地味ながら桃山前の古式を伝えている貴重な重要文化財です。
1530(享禄3)年の建造。
知恩院に残る最古の建築物です。
勢至堂は法然上人入滅の地とされている場所にあります。
ここが知恩院発祥の地です。
浄土宗開祖の死後110数年経てから建てられたわけですが、徳川家の手厚い庇護を受けて大伽藍が造営される前の、中世知恩院の姿が残されています。
今回、あらためて伽藍を一周してみて、この勢至堂の重要性に気がつきました。
知恩院は大きくわけて、二つの表情をもった寺院だと思います。
一つは言うまでもなく、三門から御影堂、そして勢至堂正面までに至る浄土宗総本山としての威厳ある姿。
同じ東山に存する大寺院としてすぐ北に南禅寺があります。
南禅寺も山門がとりわけ有名です。
しかし、両寺院を歩いてみるとまったく違った体感を受けます。
緩やかな傾斜地に主要な建物が揃う南禅寺とは違い、知恩院はやや大袈裟な言い方をすれば、山岳寺院といってもいいくらい急勾配の土地に伽藍を擁しています。
三門から御影堂などが立ち並ぶ中段エリアまでかなり落差がある石段を登ることになります。
さらに勢至堂がある上段エリアまで延々と石段が続きます。
本堂である国宝の御影堂はややずんぐりしながらも重厚な近世仏堂建築の代表例。
総本山としての威厳を感じさせます。
しかし、御影堂から大方丈にまわり、そこから「書院庭園」に出ると、そこは寺院というより御所風の優雅さが漂います。
屋根も瓦から檜皮葺に。
一気に空気が和らぐように感じられます。
美しく整えられた庭園は宗教性よりも当時の上流社会の好みに合わせて造られた趣きをもっています。
さらに、園内に設けられたやや緩やかな石段を登ると、「山亭庭園」に至ります。
こちらはとても狭い庭なのですが、眼下に京都市内を望む絶景が広がります。
山亭庭園に立つのは霊元天皇の皇女浄琳院宮の御殿を移築した建物。
ここでも御所風の好みが優先されています。
書院庭園と山亭庭園を合わせて「方丈庭園」としていますが、寺の説明によると2020(令和2)年、文化審議会の答申があり、今年2021(令和3)年春、ここは国の名勝庭園に指定されるのだそうです。
荘重な宗教世界と優雅な名勝庭園の世界。
対照的ともいえる二つの表情を持つ知恩院。
その二つの世界を、文字通りつないでいるのが勢至堂なのです。
勢至堂の裏手がまさに山亭庭園につながっています。
庭園の中を通る石段は、外のそれと違い、息を切らせることもなくゆったりと登ることができます。
峻厳ないわば「総本山ルート」とは違う「庭園ルート」。
山門から御影堂、勢至堂までに至る道筋と、御影堂の奥から方丈庭園を通って勢至堂に至る道筋をたどると、ちょうどまるで表と裏、両方から知恩院をほぼ一周することになります。
勢至堂が「扇の要」となって、二つの世界を接合しているのです。