八坂神社のすぐ近く、大雲院の境内に聳える伊東忠太設計の「祇園閣」。
このコンクリート塔がもつ不気味に異形な魅力については過去にも雑文を書いたことがありました。
祇園閣を建てた明治の大実業家・大倉喜八郎は、おそらく洒落のつもりで言ったのでしょうが、この銅の屋根を持つ望楼を「金閣・銀閣につぐ銅閣だ」と嘯いていたとされています。
ただ、京都人は祇園閣を銅閣なんて誰も言いませんし、このエピソード自体、マイナーな京都トリビア的情報に限定されているようです。
なによりここが金閣寺、銀閣寺はもとより一般的な観光スポットにすらなっていないことからも、喜八郎の洒落は見事にすべってしまい、けったいな建物という評価が覆されてはいないようです。
しかし、コロナの影響で閑散としている今を狙い、久しぶりに金閣・銀閣を訪れてみて、ちょっと意外な共通点に気がついたのです。
鹿苑寺舎利殿=金閣や、慈照寺観音殿=銀閣も、実はよくみるととてつもなく異形の建築であることに。
金閣は三層から成っています。
1398(応永5)年、室町幕府三代将軍足利義満が建てた北山殿の舎利殿でした。
三島由紀夫の『金閣寺』や水上勉の『五番町夕霧楼』で有名な放火事件で焼失後、1955(昭和30)年に再建されています。
つまり建築素材だけ見れば実は祇園閣よりも新しい建造物なのですが、往時の姿が比較的正確に再現されているとみられます。
写真などでよくみる金閣の代表的イメージは、鏡湖池の向こうに、まるで水の上に浮いているようにたつ正面の姿でしょうか。
華麗すぎる金箔に覆われた2,3階部分にもっぱら視線がまず固定されてしまうので、とても均整のとれた美観に息を呑んでしまいます。
しかし、1階まで含めてよくこの建築をみると妙にバランスがおかしいと感じます。
1階は寝殿造を模したと言われ、鑑賞者のために開け放たれています。
2階は和様仏堂様式、3階は禅宗様式。
1フロアごとに、それぞれまったく建築様式が違うのです。
しかも1階だけ金箔はなく、開放されてもいるため、上層階と脈絡なく接合されているように見えてきます。
壮麗に輝く鳳凰から下に視線を移していくとそのアンバランスさが余計際立つようにも感じます。
他方、八代将軍足利義政による銀閣は1489(長享3)年の建築物です。
もともと義政が義満の金閣を意識して建てたこともあってか、こちらも1階と2階で建築様式が異なっています。
初層は金閣の寝殿造とはまた違う書院造、上層は禅宗様。
この建物も池から眺めた正面はお馴染みの美しい姿を供してくれます。
ところが総門から銀閣寺垣を抜けていきなり姿を現す銀閣をみてまず直感されるのは、その妙なアンバランスさなのです。
こちらも金閣同様1階部分は開け放たれているので、上層階がまるで宙に浮いているように見えてしまいます。
2階部分を支える柱がいかにもか細くよく前に倒れ込まないものと思えるほどです。
それが正面からみた気品につながってもいるのですが側面から見た安定感は極端に後退します。
銀閣の3年前に建てられた東求堂の方がコンパクトではありますが、よほど統一感のある古典的外観を備えていると感じます。
つまり金閣も銀閣も、各フロア、別々のスタイルをかなりラディカルに組み合わせた折衷様式なのです。
当時としては相当に奇妙な建物として目に写ったのではないかと推測できるように思えます。
さて、1927(昭和2)年に建てられた祇園閣も、土台は城の石垣、中間は寺社の詰組、銅製の屋根は祇園祭の山鉾と、三層から成る伊東忠太流「折衷様式」です。
全層を違ったスタイルで設計する思想は金閣・銀閣と共通した要素といえなくもありません。
施主の大倉喜八郎は「銅閣」と冗談で考えたのかもしれません。
しかし、ひょっとすると、建築家伊東忠太は大真面目に金銀両閣にみられる折衷のもつエグ味の威力を意識していたのではないでしょうか。
金閣・銀閣は京都市内観光のツートップですが、規模からみるとどちらも実はそれほど巨大なものではありません。
なのになぜこんなに惹かれてしまうのでしょう。
それは、この二つの楼閣建築が持つ底知れない「異形さ」にあるのではないかと思えるのです。
あまりにも時代を経ているのでその不気味さやエグ味が完全に希釈されてしまい、日本を代表する古典的名建築としてされています。
特に書院造のはじめとされる銀閣は建築史上も重要な作例とされています。
しかしよく考えてみると、この折衷様式はそのままのかたちでは継承されなかったわけで、結果的にあまりにも独特のスタイルであったともいえます。
祇園閣がそのヘンテコさを薄められるにはまだかなり時間が必要で、銀閣のように国宝にされるようなことは永遠にないように思えます。
しかし室町時代の折衷キッチュ建築が国宝になっているのですから、これから500年たったらどう評価されるのか、それは誰にもわからない、といえるかもしれません。