現代音楽を「支持した階層」|沼野雄司『現代音楽史』

 

 


■沼野雄司著『現代音楽史 闘争しつづける芸術のゆくえ』(中公新書)

 

この「現代音楽史」がとてもわかりやすく秀逸と思えるのは、音楽の「創り手」だけではなく、その「聴き手」、あるいは「支持者」に十分目配りしている点にあります。

 

創作の歴史がその「受容史」と密接に結びつけられているのです。

だから無味乾燥な、あるいは衒学的にすぎる教養書とは違った、どこか地に足のついた説得力を感じさせてくれるのかもしれません。

 

現代音楽の歴史については、まず、「語り始め」をどこにおくかが問題になります。

「リズム」の解体がストラヴィンスキーの「春の祭典」に起源を置くことに異論はないとして、「調性」についてはやや事情が異なります。

 

無調の開始を本書ではシェーンベルクに置いていますが、その曙光を厳密にとらえるとすれば、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」に見ることも当然に可能です。

しかし、彼らの「支持者」層を考えたとき、シェーンベルクドビュッシーでは決定的な違いがあります。

新しい響きを追求をした点で共通する両者ですが、ドビュッシーがまだ19世紀社会支配階層(貴族・ブルジョワ)の支持を前提として作曲していたと思われるのに対し、シェーンベルクはそもそも「民衆」をあてにしていません。(P.28)

 

この違いは、ある種決定的で、本書では躊躇なくシェーンベルクに「調性」解放の始点を置いています。

創り手だけではなく、それを支持した階層の捉え方によって「現代音楽史」を明確に切り取っている。

説得力絶大なものを感じます。

 

シェーンベルクとその流れを組む作曲家たちがなぜ音楽表現の「手段」に過ぎないともとれる十二音技法とその発展形であるセリーの手法にこだわったのか。

著者はその理由として、「手癖の排除」(P.122)をあげています。

過去の痕跡を身体レベルで消し去るために「数」をその手段として用いたのです。

わざわざ意図的に難解な音楽を創り出したというよりも、飽和状態を迎えてしまった19世紀西洋音楽の呪縛を断ち切り、新しい音楽史のページを開くためには、「利き手」を取り替えるくらいの覚悟が必要だったということでしょう。

 

しかし、「聴き手」である20世紀後半人の大多数は、「利き手」を取り替えた作曲家たちの作品を歓迎したわけではありませんでした。

それが一般大衆レベルでの聴き手であれば単に「売れない」というだけの現象で終わりますが、問題は「支配層」がそれをリフューズした場合です。

本書ではメインストリームである1950年代以降の西側作曲家たちをトレースするだけではなく、戦前のファシズム期、あるいはソビエトにおける音楽の動向をもしっかり織り込むことで「現代音楽」の持つ厚みを描きだしています。

特に面白いのは、現在ではもっぱら否定的に語られがちな「社会主義リアリズム」の扱いです。

体制の要求に苦悩しつつ書かれたというショスタコーヴィチの第5交響曲が、結局、彼のシンフォニーの中で現在最も演奏されている状況をどうとらえるか。

ショスタコーヴィチという天才だからこそなし得た業績と、一作曲家の才能に回収されてしまうことを著者は保留しているように読み取れます。

 

本書では触れられていませんが、多くの聴き手が現代音楽に何を求めているのか、あるは「求めてしまった」のかを端的に例示した事件がこの国では起こりました。

 

もはや都合よく忘れ去られようとしている、佐村河内守氏の一件です。

彼によって発表された大オーケストラによる紛れもない「現代音楽」が引き起こした悲喜こもごもの諸相。

一度も彼の「作品」をまともに聴いたことがなかったのですが、現在、京都市京セラ美術館で開催されている「平成美術展」で、人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)により彼の作品があらためて「展示」されていて、その一部を鑑賞する機会を得ました。

kyotocity-kyocera.museum

 

「新ロマン主義」のようにも聞こえる作風と感じます。

19世紀後期ロマン派をベースに無調表現主義を抒情的に振りかけたような音楽なのですが、その壮大なパフォーマンスによって、パッチワーク風ではあるものの、確かにエモーショナルな瞬間をも生み出している。

これに多くの聴衆が魅せられてしまったのも理解できます。

もちろんそこには「被曝二世」「難聴」など、音楽と関係ない付随エピソードの力が当然にあったにせよ。

 

グレツキあたりが受容され、「前衛」がそのカッコ良さを失って久しい時代に、ちょうど、19世紀大管弦楽の手法を身につけていた新垣氏という「手段」を得て佐村河内氏の音楽が「創られた」。

「平成美術展」では、「もしS氏がAIに指示を出したら」という問いがAI美芸研によってなげかけられています。

現代音楽史は本書の後、意外とすぐに劇的な変容を迎えるかもしれません。

 

コンパクトなボリュームなのに、日本の作曲家も含めてほぼ重要なキーパーソン、音楽の潮流が網羅されていると思います。

中公新書では、「S氏の手法」の浅薄さを見抜いた岡田暁生の名著『西洋音楽史』がすでにありますが、その続編レベルをはるかに越えた読み応えのある著作だと思います。

 

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