伊藤柏台「夜の六角堂」と昼の六角堂

 

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現在、京都国立近代美術館のコレクション展(〜3月7日)で特集されている「描かれた建物」。田村宗立から下村良之介まで多彩な「建物」に関する作品が展示されています。

 

伊藤柏台(はくだい)は1896(明治29)年、京都に生まれた画家。甲斐庄楠音らと共に新樹社というサークルを結成し、大正京都画壇で活躍した人ですが、1932(昭和7)年、30代の若さで亡くなっています。
MOMAKは彼の作品を多数収蔵。今回のコレクション展では「夜の六角堂」と題された日本画を紹介。1915(大正2)年の作。同時期、この作品のために描かれたデッサン2点もMOMAKが所蔵しています。

 

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伊藤柏台 「夜の六角堂」

六角堂・紫雲山頂法寺の本堂は明治初期の建物。幕末、元治の大火で焼亡した後、再建されました。
伊藤柏台が描いたそのぼんやりとした幽玄なシルエットは再建から40年くらいたった六角堂の姿を写しとったものということになります。でもこの絵から伝わってくるのは、明治の新造建築というより、歴史性を超越したような「形」そのものの纏う不思議な異形さ。

 

聖徳太子の開基と伝えられている六角堂。四天王寺を建設するための木材を求めてこの地を訪れた太子がお告げによって堂を建て、観音像を安置したという由緒をもっています。六角形の姿は法隆寺夢殿の八角形と類似することからも太子信仰につながっているのでしょう。聖徳太子との関連はかなり神話めいた伝承によるとしても、822(弘仁13)年、嵯峨天皇の勅願所となったことは京都市の由緒書にあるようにはっきりしているようです。建物は市内の中心に位置したことから何度も火災で焼け落ちましたが、境内の場所は平安京の昔からほとんど変わっていないのだとか。

 

実際の六角堂は近世和様建築の様式を備えていて、とても平安時代からの姿がそのまま伝承されているとは思えないのですが、複雑に入り組んだ屋根と頂にのる宝珠が独特の雰囲気を醸しています。華道、池坊発祥の地。堂の北側には池坊会館の高層ビルが迫る、かなり閉鎖的な境内空間。だから余計濃密に異形の建築としての存在感が際立っています。
どこから眺めても、建築としての正面がはっきりしない。
もちろん唐破風をもつ本堂の正面ははっきりしているのですが、屋根も含めた全体像は観る角度によってさまざまに表情を変え、一定しません。

 

伊藤柏台が描いた六角堂はそんなこの建築の持つ多面性をモノクロームのシルエットに託して見事に表現していると感じます。おそらく本堂の西南方向からみた図像と思われるのですが、実際に目視したアングルでは捉えられない角度で屋根や宝珠が描きこまれています。つまり視点が複数存在する絵。キュビスムとはいわないまでも、事物の本質に迫ろうとする画家の思念が画像から伝わってくるようです。

 

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