細見良の美意識

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細見古香庵生誕120年記念「美の境地」

■2021年8月24日〜10月17日
細見美術館

 

近年の細見美術館は、実業家細見家の実質的な二代目である細見實が好んだ、琳派若冲など、江戸美術を中心とした企画が目立っていたように思います。

 

しかし、この美術館の礎となるコレクションを最初に形成したのは、實の父、細見良(古香庵)です。

主に平安末期から室町あたりまでの作品に焦点をあてて蒐集を行った細見良の美意識は、息子の實とは、同じ日本美術を好んでいたとはいえ、ずいぶん違いがあります。

1901年生まれの古香庵。

今年、彼の生誕120年を記念して開かれた「美の境地」展は、細見美術館の源流を丁寧に回顧していて、地味ではありますが、とても濃密な内容となっていると感じました。

 

どこか遊び心をその蒐集趣味に感じさせる二代目實に比べ、一代で財を成した初代古香庵の眼差しには求道的とも言える真摯さがあります。

三渓益田鈍翁から譲り受けた品々の例に見るように、その由緒を特に気にかけて蒐集していたらしい姿勢が見受けられ、文人紳士然としたところを目指したような気配が感じられはします。

いわば当時の即成実業家特有の俗っぽさが全くなかった人ではないのでしょうし、まとまった美術工芸コレクションをこの時期に作り上げた明治資本家の一典型と見れなくもありません。

しかし古香庵コレクション全体から感じられるのは単なる権威主義的な骨董趣味ではなく、作品自体が静かに美の本質を語り出すような凄み。

鏡や釜といった金工品の数々からは、輝き自体を内に封じ込めた金属が持つ質感から滲む美しさに加えて、器物そのものの正体を見極めようとする古香庵その人の鋭い眼光すら感じられるようです。

 

展覧会の冒頭に置かれているのは、和鏡の最高傑作。

羽黒鏡です。

昭和初期、出羽羽黒山から発掘された院政期頃の作とみられる小ぶりの鏡。

中華帝国に由緒を持つそれまでの銅鏡が権力者の威信財としての荘重な神秘性を帯びていたのに対し、羽黒鏡に表された平安末期の図像は、松や鶴といった典雅なモチーフが、中国銅鏡の厳格なシンメトリーの縛りから解き放たれつつも全体としての気品を保っていて見飽きることがありません。

出羽三山神社東博にも所蔵されていますが、珍しい方鏡を含む細見美術館のコレクションのそれは深みのある色合いや図像の雅さの点で最優美な作例と言えると思います。

 

愛染明王像などの仏教絵画、芦屋釜の優品、豊太閤聚楽第ゆかりの七宝など、派手さよりも形の優美さと色彩の精美さが印象的なコレクションが次々と披露されていきます。

中でも圧巻なのが、古香庵コレクションの代名詞、立体春日曼荼羅ともいうべき「金銅春日神鹿御正体」。

南北朝時代の様式性と象徴性が金工リアリズムによって独特のバランスで結合した神仏習合の傑作工芸彫刻。

圧倒的存在感があります。

 

細見美術館は現在、常設展スペースを持っていません。

規模から見てやむをないと思います。

そのかわり、現代作家の特集を含め、毎回一捻りアイデアを加えた企画展が催されてはいます。

しかし、羽黒鏡や春日神鹿立体曼荼羅は国宝級の優品。

せっかく初代が集めた館蔵マスターピースなのに鑑賞できる機会がアニバーサリー企画などに限定されているのはいかにも惜しいと感じます。

定期的に、企画性は横において、正面から捉えた細見コレクションを堂々と展示する準常設展示の機会をもっと増やして欲しいとも感じました。

 

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