狩野探幽の孔雀|二条城障壁画展示収蔵館

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二条城大手門から入り、一般的な順路とは逆に右手へ折れて進むと、休憩所に隣接して障壁画展示収蔵館がその長細い白壁の姿を現します。

ここに入るには入城料と別にちょっと追加料金が必要になりますが、かつて御殿を飾っていた狩野派一門による障壁画のオリジナルをゆったり鑑賞できるので気に入っています。

 

国宝二の丸御殿のおまけ的な施設と見られがちで、展示スペースだけ見ればさほど大きな施設とはいません。

しかし、この収蔵館は約3600点にも及ぶ二条城障壁画の保存修理を常時行っているれっきとした京都市立の博物館です。

中でも松本直子学芸員の仕事ぶりは特に有名で、近年、彼女の研究によってある障壁画に関する真の作者が判明。

テレビ番組でも取り上げられて話題になりました。

 

二の丸御殿障壁画の中で一番有名な、大広間・四の間を飾る「松鷹図」。

長らく狩野探幽の作と見做されてきましたが、近年、松本学芸員によって狩野山楽の絵筆によるものであるとの研究成果が示され、この説が現在最も支持されています。

 

この「松鷹図」は昨年2020年の秋、上野に運ばれ、東京国立博物館主催の「桃山」展において桃山美術の終焉を飾る大作として会場出口近くに置かれました。

その際、東博はこれを明確に「山楽筆」として紹介しています。

2013年、同じく東博で開催された「京都-洛中洛外図と障壁画の美」展では、まだこの四の間松鷹図が「探幽作」とされていましたから、現在、東博も松本直子学芸員説を完全に受け入れたということでしょう。

二条城障壁画は探幽、山楽以外にも、長信、興以、甚之丞など狩野派一門全体が関わったことが今や明らかにされていますが、以前は全ての障壁画が「探幽筆」と堂々と御殿の中で紹介されていました。

展示収蔵館による地道な修復作業と研究の成果は非常に大きい価値があると思います。

 

二条城障壁画展示収蔵館では、一年度を4期に区切り、主だった障壁画を取っ替え引っ替えしながら展示しています。

令和3年度の第3期は2021年10月22日から12月12日まで。

今年は二条城もコロナによる緊急事態宣言で大混乱し、1期と2期は城自体閉鎖されてしまった期間がありましたから、この第3期でようやく正常化した格好です。

その今期は「松鷹図」に次いで有名な大広間・三の間「松孔雀図」が展示されています。

こちらは今でも紛れもなく狩野探幽筆とされる大画。

 

探幽が二条城障壁画製作の命を徳川将軍家から受け、江戸から京へ上ったのは1625(寛永2)年。

探幽は1602年の生まれですからまだ20歳代前半の仕事ということになります。

今回も松本学芸員による緻密でわかりやすい解説文が展示室に掲載されていました。

永徳のように松の幹がドンと絵の天地を貫くような豪快さがない代わりに、格式をより重視したバランスの良さと気品が探幽の持ち味。

長押を含めて広間全体の再現を志向している収蔵館の展示室では、松が、部屋を突き抜けるような永徳風の構図ではなく、しっかりその全体像を障壁の画中に収めた格調高い姿として描かれています。

松本学芸員による解説によれば、この絵には、探幽による絶妙な角度を伴った「平行線」の妙技が仕込まれているのだそうです。

確かに言われてみると、張り出した松の枝やそこにとまった孔雀の姿勢などを貫く美しい無色透明な斜線が見えてきます。

翻って山楽筆と特定された「松鷹図」を想起してみると、この絵でも永徳流の奔放さがやや抑制されてきてはいるものの、探幽のスタイリッシュな平行四辺形をベースとしたバランス配置より、強烈に絵を横切る水平のラインと松と鷹によって表された「頂」が織りなす三角形が意識されていることに気がつきます。

こうした構図の決定的な違いからも、四の間「松鷹図」と三の間「松孔雀図」が別人による作であることがなんとなくわかってくるような気がします。

 

最も有名な「松鷹図」が探幽ではなく山楽だ、ということが、あらためて今回の「松孔雀図」をみて得心できたわけですが、どちらの絵が好みかといえば、私は探幽「松孔雀図」の方。

とにかく、その「孔雀」が素晴らしいのです。

山楽が描いた「鷹」ももちろんかっこいいのですが、この描き方はまだ、「桃山」風の威勢と気概をなんとなく残しているために、整えられた三角形の構図と、どこかチグハグ感があると見えなくもありません。

その点、探幽の「孔雀」は彼が仕込んだ平行線美学のスタイリッシュさに完全に呼応した造形が示されています。

一本足で松にすっと立つ孔雀の描画はそこだけまるで工芸品のように美しく仕上げられています。

様式性をおびた松の図柄と完全にシンクロした上でなお瑞々しい。

余白の使い方まで完璧な探幽の美意識。

皮肉なことにこの探幽スタイルから、水が低きところに流れるように、江戸近世狩野派の美的凋落が始まっていくわけですが、その起点であった探幽の孔雀は桃山の破調をしっかり形式美に抑え込んだ技が冴え切っています。

一つの頂点を見る傑作だと思います。

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