正倉院のペーパーナイフ

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第73回 正倉院展

 ■2021年10月30日〜11月15日
 ■奈良国立博物館

 

今回の正倉院展では筆などの文房具が多く出陳されています。
天平の色紙見本ともいえる「色麻紙」、中国や朝鮮半島で作られた墨の塊などは1200年前の物とは思えないくらい美しく保存されていて、その質感豊かさに驚きました。

8世紀に使われたであろう、人の手と直接関わることを前提とされた品々には、豪華な儀礼用具などとは違った率直な美しさが滲んでいます。
さらに、実際、当時の文房具で記された文書類の数々からは、ひらがな登場以前の崩されていない筆遣いにもかかわらず、書き手の呼吸感が生々しく伝わってきます。

 

「刀子(とうす)」は小刀の一種。
といっても正倉院に伝わるものは現在の小型ナイフよりかなり小さく、全長15〜20センチくらい。
刀身は大きめの黒文字ほどで、お菓子を切るくらいのボリュームしかなく、とても武器として使えるものではありません。

これは紙を切ったり、木簡上の墨文字を消して修正するため、木を削る用具として作られた品。
つまり、やや強引に喩えれば、消しゴムを兼ねたペーパーナイフ。
実用の品、文房具です。

今回は「紅梅把鞘金銀荘刀子」(こうばいのつかさやきんぎんかざりのとうす)と、「烏犀把白牙鞘金銀荘刀子」(うさいのつかはくげのさやきんぎんかざりのとうす)の二口が展示されています。

いずれも正倉院中倉に伝わったもの。
長々しく、いかにももったいぶったような大袈裟な名前がつけられていますが、実物はシンプル。
装飾はほとんどなく、鞘は刀身の姿をほぼそのまま隠すことを目的に整えられた程度の造形。
身分の高い人向けに作られた品だそうで、当時はこんなに小さく目立たない文房具をわざわざ腰帯につけて飾っていたのだそうです。

ただ、だからこそ、そのおしゃれ感が際立つのです。
一見、とても地味な装身文具。
でもこれをそっと腰のあたりから抜いて、すっと紙を切ったり木簡を削る平城京貴族の仕草を想像してみると、そのチラリと小さく輝く刀身と繊細な指使いからは、平安貴族たちをも上回る洗練された格好良さが立ち現れるかのようです。

とても小さな宝物ですが、今回の正倉院展で最も感銘を受けたのはこの刀子。
二つの品とも360度、四方から鑑賞できるように展示されていて、奈良時代のペーパーナイフを余すところなく鑑賞することができました。

さて、第73回正倉院展における一般的にみた目玉出陳は「螺鈿紫檀阮咸」でしょう。
聖武天皇遺愛の品とされる弦楽器です。
この宝物は裏面のインコ柄が特に有名ですが、今回よく見物して気がついたのは、その側面、「磯」という部分に施された装飾の美しさです。
とてもリズミカルに螺鈿が打ち込まれています。
具体的な図像を描いているわけではないこともあり、全く古さを感じさせません。
しかしモダンと簡単に形容もできない。
平安以降現代に至るまで延々と染み付いた「和様の手癖」ともいうべき美意識や、宗教的抹香臭さから完全に解き放たれているデザイン。
といって、これがペルシャあたりからの伝来文様であるとする昭和シルクロードロマン的言説に素直に頷くこともできません。
あまりにもあらゆる様式から軽やかに離脱しているのに、充実した「側面」なのです。


螺鈿紫檀阮咸の磯、その側面の美しさは他の宝物にも通底しています。
例えば、「青斑石硯」(せいばんせきのすずり)。
美しい正六角形の姿をした正倉院唯一の硯です。
台座に施された木画の文様。
何種類もの木材を緻密に組み合わせた瀟洒幾何学的デザインは全て「側面」に表されています。

鑑真来朝と関係があるとされる「黒柿蘇芳染金絵長花形几」(くろがきすおうぞめきんえのちょうはながたき)も、わずかな幅の側面に植物や蝶が細やかに描かれています。
さほど目立つところではないのに、手抜きは一切なく、むしろここを見てほしいと言っているような造形。
花のように象られた形状が特徴的なのですが、この器物のクライマックスは全体的な姿ではなく、「側面」の装飾美です。

天平人の目のつけどころの鋭さを感じとれる展示品の数々を楽しむことができました。

昨年に続きコロナ対策のため完全事前予約制となった正倉院展
チケットは当然に完売した模様。
東博や京博に比べてさほど広くはない奈良博で、たった2週間の会期ですから、人数を絞ったといってもかなりの混雑。
入場前にとてつもなく長い待ち密行列ができてしまっていたのも、なんのための事前予約だったのかと文句をつけたくなります。

しかし、以前の殺人的な混雑具合からみればかなり改善されたのではないでしょうか。

現在奈良博では隣接する茶室庭園の補修費を捻出するため、クラウドファンディングで資金を募っています。
やや古ぼけた館内といい、他の国立博物館3館に比べ、経済的にはいかにも苦しそう。
だから定期的に開催され安定した収益が見込まれる正倉院展での入場者数制限は相当な打撃とみられます。
とはいえ、これを機会に、最低限の鑑賞環境を確保するためにも、ある程度入場者数を絞った事前予約制を定着させてほしいと思います。
コストが合わない、チケット確保が難しくなるというなら、公開日数を増やせば良いだけの話です。
2週間が1ヶ月に増えたところで急速に劣化が進む宝物があるようには思えませんし、もしそんな文化財があるならば公開自体、そもそも危険でしょう。
いかにも無駄っぽい宮内庁との二重管理文化行政もそろそろ限界ではないかとも思えます。

来年以降も完全予約制の維持を期待しています。

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