赤山禅院 紅葉下の神仏大集合

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先日まで東博で開催されていた「最澄天台宗のすべて」展(2021年10月12日〜11月21日)では、最澄はもちろんですが、彼の後継者たちにも強く焦点があてられていました。

第三代天台座主・円仁は、円珍と並び、天台宗における密教、すなわち台密を完成させたといわれる人物。

展覧会の図録には最澄、円仁、円珍、それぞれが入唐したときのルートが図示されています。

 

三人の中で唯一、大陸内を大きく北側奥地へとまわりこみ、五台山にまで巡礼したのが慈覚大師円仁です。

彼は五台山に至る行程の無事を、唐の赤山という地で道教の神、泰山府君に祈願します。

その際、念願が成就したら泰山府君を祀る堂宇を建てる、という約束を円仁はしていました。

しかし、五台山を巡礼し無事帰国できたにも関わらず、赤山で誓った約束が果たせないまま、円仁は死の床についてしまいます。

彼は亡くなる前、弟子たちにその建立を遺言します。

結果、9世紀末頃、比叡山の南西に位置する赤山禅院が創建されたと伝えられています。

修学院離宮のすぐ北側にある赤山禅院ですが、境内にこれといって目をひく美術品や建築物はありません。

いろんなお堂が立ち並んではいるものの、いずれもおそらく明治以降の建物で、造形的に際立った魅力を持っているわけでもありません。

ここを訪れる人の多くが目当てにしているのはおそらく、秋の紅葉です。

名所とはいえ、永観堂東福寺、嵐山の諸寺あたりに比べればかなり地味なので、それほど混雑しないところが赤山禅院の何よりの魅力です。

参拝は自由で、境内をうろうろするだけならお金もかかりません。

 

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しかし、近年もう一つ、赤山禅院の魅力を高めるファクターが付加されたようです。

祀られている赤山大明神とは、泰山府君のこととされています。

この神様は、陰陽道のスーパースター安倍晴明が盛んにお祭りしたことで知られ、晴明人気の急上昇に伴い、このお寺も注目を浴びはじめているようです(本当のところはあまり関係がないように思われるのですが)。

 

さて、赤山禅院延暦寺支配下にある、れっきとした天台宗の寺院です。

でも、ここの参道入口には立派な石造の鳥居が構えられています。

赤山大明神を祀る建物(本堂というべきなのか本殿というべきなのか迷います)は「御拝殿」を持ち、その配置や構造はお寺というより神社です。

神道色が濃厚に漂う境内。

これほど露骨に神仏習合の有り様が残されている場所も珍しい。

拝殿の前で柏手をうつべきなのか。

それとも黙って合掌すべきなのか。

ちょっと迷いますが、どうもパンパンと手を叩く気分にはならないところが、やはり、ここはお寺なのでしょう。

 

赤山禅院に見られる神仏習合の様態は、単純に仏教と神道という二つの宗教だけで成り立っているわけではありません。

まず泰山府君自体、神道とは関係がありません。

この神様はもともと、中国、道教の世界に存在しています。

でも神様は神様なので鳥居と拝殿でお祀りしてしまう。

道教神道が混ざりあっているのです。

さらに日本においては、泰山府君陰陽道の重要な神として取り込まれました。

陰陽道は中国から直接輸入されたものではなく、平安時代頃、道教や陰陽五行説を強く意識しながらも、日本で個別独自に成立したシステムとする説が近年の主流です。

円仁が祈願した泰山府君はもちろん道教の神様だったわけですが、赤山禅院に祀られた後は、さらに陰陽道の神様として別の価値が付け加えられたということができます。

結果としてこのお寺には陰陽道が得意とする「方位除け」の御利益があるとされるに至ります。

また位置的に京都御所の表鬼門にあたることから、ますます妖しい気配が付け加えられることになりました。

拝殿の上には、御所の北東に設けられた「猿が辻」と呼応するという、鬼門除けの猿像が幣帛や鈴を持って鎮座し、一層、習合の様相を複雑珍奇なものにしています。

 

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仏教、神道道教陰陽道とすでに4つもの宗教要素が混ざりあっているのですが、これにもう一つ、修験道的機能も赤山禅院には加わります。

比叡山の荒業として知られる千日回峰行では、赤山禅院まで駆け回るルートがあるとされています。

一時は相当に荒廃していたというこの寺が、神仏判然令の荒波を経た後、現在も伽藍を維持しているのは、この千日回峰行に関わる重要施設であったことが大きいとも言われているようです。

最澄天台宗のすべて」展では、円仁の弟子で千日回峰行を創始したといわれる相応和尚の肖像画(延暦寺蔵)が展示され、現在に続くその過酷な行の様子が映像で紹介されていました。

修験道自体は円仁ではなく、円珍の系統である三井寺園城寺(寺門)が重視した信仰です。

赤山禅院を管理する延暦寺(山門)は園城寺と対立関係にあったわけで、千日回峰行修験道とを明確に区別していると思われます。

しかし、千日回峰行の、山岳を駆け巡るその厳しい修行の有り様からは修験的要素が強く感じられます。

 

5つの宗教要素が交差する中、現在ではさらに七福神まで抱え込んでいる赤山禅院

境内には福禄寿やお不動さんなど、実にさまざまな神仏が紅葉の間に佇んでいて、御利益が混線しそうなくらい有難い世界が現出しています。

まるで紅葉下の宗教マンダラです。