祇園閣と伝道院 その内部

f:id:karasumagaien2:20211202215411j:plain

京都市京セラ美術館で開催されている「モダン建築の京都」展(2021年9月25日〜12月26日)。
2021年秋、この展覧会とタイアップした企画が京都市観光協会によって催されました。

展覧会で取り上げられた伊東忠太設計による「祇園閣」と「本願寺伝道院」。
通常、内部は非公開です。
タイアップ企画によりその内部を見学することができます。
さらに、「モダン建築の京都」展のチケットを持っていれば1000円の入場料から200円割引になるというお得な設定。
まんまとこの企画にのせられ、二つの建物を見学してきました。

なお、どちらも内部は撮影禁止でした(祇園閣については3階からの眺望撮影もNG)。


では、まず「本願寺伝道院」から。

f:id:karasumagaien2:20211202215526j:plain

現在、「本願寺伝道院」と称されるこの建物は、もともと、「真宗信徒生命保険株式会社」として1912(明治45)年、西本願寺門前の油小路正面に建てられました。

伊東忠太(1867ー1954)が、1902(明治35)年から3年余りかけて留学したアジア諸国での建築研究成果をあらん限り注ぎ込んだ超折衷様式による地上2階(一部3階)・地下1階のレンガ造り。
施工は竹中組(現・竹中工務店)。
実質的な施主は当時の浄土真宗本願寺派(西本願寺)宗主、大谷光瑞(1876-1948)です。
いわゆる大谷探検隊を率いて中央アジアに分け入った人。
探検の途中、隊員が留学中の伊東忠太と知り合ったことから西本願寺とこの建築家のつながりが生じます。

f:id:karasumagaien2:20211204081133j:plain

イスラムやインドに見られるモチーフを当時の英国様式と折衷し、さらに本願寺関係ということを意識してなのか和様も部分的に取り入れた、とんでもない混淆建築。
建物の周囲には伊東忠太の個人的趣味である様々な怪獣たちのモニュメントが結界をつくるように張りめぐらされ、さらに異界ムードが漂う外観となっています。
堀川通からもそのドームを目にすることができる異形さは一度見たら忘れられない印象を残します。

f:id:karasumagaien2:20211204081203j:plain

保険事業が野村財閥に引き継がれた後は、一時、京福電鉄の本社社屋などとしても使われたのだそうです。
1962(昭和37)年、オフィスビルとしての役目を終え、西本願寺附属の教学施設「伝道院」として使用されるようになります。
2011(平成23)年、大規模な保存修理が完了。
2014(平成26)年、重要文化財に指定されています。

f:id:karasumagaien2:20211202215633j:plain

北西方向に開かれた玄関口から入るといきなり格調高い木造の大階段が据えられたホールが現れます。
しかし、その印象は外観とは全く異なり、とてもオーソドックスにまとめられた洋風の内装。
外観のようにごちゃごちゃした様式の混淆はほとんど見られません。

これは当然といえば当然の仕様と言えます。
この建築は、そもそも、保険会社、つまり金融機関の社屋として建てられたもの。
お金のやり取りをするその場で、伊東流の怪獣やら、アラジンと魔法のランプ的な装飾が見えたら怪し過ぎて契約が取れません。
ですから、「本願寺伝道院」の内装は外観に比べ、実は、さほど面白いものではありません。
天井などはかなり新しい素材に入れ替えられていて、意匠として古風が残されてはいますが、明治末期の空気をそのまま伝えてくれる風情は感じられませんでした。
椅子などの調度品展示もなく、各部屋はがらんとしています。
今回の内部公開では、肝心の3階ドーム内が非公開だったこともあり、ちょっと物足りない印象です。

現在残る伝道院本館の東側には、これまたエキゾチックな様式による円錐形の屋根を持った建物がかつて附属していました。
1971(昭和47)年に取り壊されたのだそうです。
惜しい。
本願寺伝道院は、後年、やや整えられ過ぎてしまったのかもしれません。
とはいえ、現在の外観が放つ異形美は、これはこれでとても貴重なものです。

f:id:karasumagaien2:20211202215708j:plain

伝道院東側にかつてあった附属棟(会場で配布されていた「本願寺新報」より)

f:id:karasumagaien2:20211202215820j:plain



さて、一方の祇園閣。

こちらは内部も外部に劣らずというか、むしろ内部にこそ伊東忠太独特の美意識が広がっていて、圧倒的幻想世界が出現します。

1927(昭和2)年、大倉喜八郎(1837-1928)の京都別邸敷地内に建てられた鉄筋コンクリート造り、36メートルの高さを持った楼閣です。
施工は大倉土木(現・大成建設)。
伝道院同様、伊東お得意の折衷様式が採用されているのですが、祇園閣ではさらにそのセンスが研ぎ澄まされています。
さまざまな意匠が混然としていた伝道院に対し、祇園閣では1階、2階、3階とそれぞれ明確に様式が分割されています。
1階部分は城郭の石垣、2階は和様の組物、3階部分にのる屋根の造形は祇園祭の鉾を模しています。

f:id:karasumagaien2:20211204081826j:plain

この外観も相当に異様なのですが、内部はさらにとてつもない様相を呈しています。
一面に隈なく描かれた仏教説話絵画。
その妙に生々しい線描と色彩の洪水。
所々にランプを持って壁から姿を現す伊東怪獣たち。
和様アール・ヌーヴォー風に曲りくねる植物仕様の照明器具。
お世辞にも趣味が良いとはいえないのですが、不思議と通俗の臭みを突き抜けて、独特の異世界美をつくりあげています。
3階からは京都市内を一望できるパノラマが堪能できます。

f:id:karasumagaien2:20211202215907j:plain

オフィスビルだった本願寺伝道院とは異なり、祇園閣は大倉喜八郎の全く個人的な欲望によって建てられました。
ただ登って楽しむだけという、いわば「使い道のない建造物」です。
結果として、内装は伝道院のように用途による制限を気にする必要は全くなく、自由自在に施主と建築家の趣味が反映されることになりました。

f:id:karasumagaien2:20211204081747j:plain大倉喜八郎自身は祇園閣完成の翌年に世を去ってしまいますから、施主がこの建築内に足を踏み入れたとみられる期間はごく短かったということになります。

大倉喜八郎の息子、大倉財閥の二代目として活躍した大倉喜七郎は、この祇園閣を「気味が悪い」といって、その中に入ることを嫌ったと伝えられています。
喜七郎自身、大倉集古館に美術コレクションを築いた趣味人。
父と伊東忠太による幻想建築は肌に合わなかったのかもしれません。

 

なお祇園閣を現在所有している大雲院の境内には、大倉喜八郎の別邸が「書院」として残されていて、祇園閣のすぐ下にあります。
これも伊東忠太の設計で、祇園閣ともども国の登録有形文化財
一見、普通の和風家屋のように見えますが、何気なく八角型の応接棟が附属したりして、やっぱり伊東忠太的な異形要素が取り込まれています。
こちらは内部を見ることはできません。

f:id:karasumagaien2:20211202220046j:plain

大雲院は1970年代、寺町四条にあった寺の地所を髙島屋に譲り、代わりに当時髙島屋の所有となっていた旧大倉喜八郎別邸の敷地に移転。
結果的に祇園閣を取り込むことになりました。
境内はさほど広くないため、背が高い祇園閣の全貌を眺めるにはアングル的にやや厳しいと思います。

この異形楼閣が最も映えて見える場所は、おそらくすぐお隣り、高台寺の境内からです。

f:id:karasumagaien2:20211202220605j:plain

祇園閣 高台寺境内からの眺め

www.city.kyoto.lg.jp