祇園、円山公園の南に位置する長楽館。
すぐ隣りにそびえ立つ伊東忠太設計の祇園閣が放つ異形折衷美の毒気にあてられた後にこの洋館を訪れると、どこかほっとします。
開放的な前庭と軽やかにまとめられた破綻のないルネサンス様式の外観。
円山公園の一角にあって洋風建築にも関わらず周囲の景観とよく馴染んでいます。
しかし、この長楽館も実はその内部に調和の世界とは別種の異形空間を持っています。
伊東忠太も顔負けの世界建築様式博覧会場のごとき様相。
その密度の濃さは、ひょっとすると、祇園閣以上ともいえます。
京都古文化保存協会による特別公開事業(令和3年度・第57回)の一環として、通常非公開の長楽館3階部分が公開されました(2021年11月13日〜12月5日)。
祇園閣内部見学の後、訪問してみました。
設計はジェームズ・マクドナルド・ガーディナー(1857-1925)。
立教大学の校長も務めたアメリカ聖公会の伝道活動家にして建築家です。
烏丸下立売に建つ煉瓦造りが印象的な日本聖公会聖アグネス教会礼拝堂も彼が設計した名建築として知られています。
長楽館の施工は清水満之助店(現・清水建設)。
1902(明治42)年の竣工です。
清水満之助(二代目)は1893(明治26)年、京都出張所を開設し関西へ進出。
1895(明治28)年には大仕事だった帝国奈良博物館(片山東熊設計・現なら仏像館)を仕上げています。
施主は村井吉兵衛(1864-1926)。
日本初の両切り紙巻きタバコ「サンライス」と、それに続く「ヒーロー」等で巨万の富を築いた京都出身の実業家です。
クリーム色のタイルが印象的な外観。
そのすっきりした造形に対し玄関から一歩内部に入ると装飾的な木彫の調度品、扉、階段などがぎっしりと詰め込まれた高密度空間が現れます。
1階と2階はカフェやレストラン等として使用されていて多くの部屋が常時公開されています。
驚くのはその多様さです。
どれ一つとして同じデザインの部屋はありません。
バロック、ロココ、新古典主義といった西欧建築様式がそれぞれに採用されています。
当然に後世のメンテナンスが入っていると思われるので古色蒼然とした明治建築という印象はありません。
現役の飲食空間として利用されているせいか内部空間は活き活きとした空気で満たされています。
コーヒー一杯、900円します。
高いとみるか安いとみるかは、座った席を囲む過剰なまでの装飾様式をどう楽しむかにかかっているように思います。
さて、特別公開されているのは3階部分です。
ここからは靴を脱いでの見学となっていました(入場料1000円)。
なお、3階部分は撮影禁止です。
華麗な装飾をもった階段を上がると、今度は突然、和様の空間が出現します。
大広間は折り上げ格天井に金銀の箔が散りばめられた桃山バロックの世界。
全体が黒い色調でまとめられているので派手派手しさが軽減されてはいるものの、みっしりと隙間なく飾り付けられた室内からは独特の「凝集美」が漂ってきます。
ステンドグラスを通した光が色彩の陰翳を生む茶室空間。
眼下には円山公園。
視線を上げれば知恩院の大伽藍や東山の景色。
北側には遠く岡崎の大鳥居が見えます。
とにかく高密度の装飾世界なのですが、不思議と息苦しい暗さを感じないのは南側に造られた居間からの光が障子を通して北側まで届くように配慮されているからでしょう。
障子を取り払えば建物の南北を貫いて風が通る仕組みです。
窒息感はないものの、あらゆる細部に凝った意匠が施されているので次第に目が回ってくるような気分に陥ってきます。
外観や基本的な設計はガーディナーによるものなのでしょうが、様式見本市のようなコンセプトと内装の趣味は村井吉兵衛個人の意向が大きく反映されていると想像されます。
なおインテリアは東京の杉田商店および京都の河瀬商店というところに任せたのだそうです。
京都市京セラ美術館開催の「モダン建築の京都」展(2021年9月21日〜12月26)では、長楽館の調度品も出張陳列されていて、中には螺鈿バロック調とでも言いたくなるような豪華な長椅子もありました。
煙草王の館、その喫煙室に置かれていたという中国趣味の家具です。
この椅子に端的に表れているように、村井吉兵衛の趣向はとにかく「隙間」をつくらない執拗な装飾美の追求にあるようです。
村井兄弟商店の迎賓館的な役割を担っていたというこの建物ですが、洋の東西を問わず様々な建築様式を凝集させたサービス精神は美的洗練を通り越し常軌を逸した異様な迫力を長楽館内部に持たせているように感じます。
タバコの製造販売が国の専売事業とされてしまったことへの補償として巨額の資金を得た村井吉兵衛は銀行業に進出します。
京都には現在3ヶ所、旧村井銀行の建物が残されています。
七条支店、祇園支店は他業態に代わってしまっていますが、京阪・清水五条駅近くの五条支店は現在京都中央信用金庫五条支店として現役金融機関店舗の役割を維持し、五条通に美しい古典建築美を残しています。
設計はいずれもアメリカで建築を学んだ吉武長一です。
五条支店は1924(大正13)年頃の建造物。
ギリシア建築風の列柱を模したファサードは、どこか長楽館の玄関と共通した造形を感じます。
しかし、ほどなくして、昭和金融恐慌により村井銀行は倒産。
長楽館も人手にわたることになります。
村井吉兵衛自身は、幸か不幸か、その憂き目を見ることなく1926(大正26)年に亡くなりました。