福富太郎コクレション「眼の嗅覚」

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コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画

■2021年11月20日〜2022年1月16日
あべのハルカス美術館

 

北野恒富の「道行」と共に、この展覧会を代表する作品として、図録の表紙にも採用されている鏑木清方の「妖魚」。

六曲一隻のこの大型金屏風を、今年は3回も、別々の場所で鑑賞することになりました。

まず春に竹橋の東京国立近代美術館、「あやしい絵」展の東京会場(2021年3月23日〜5月16日)で。

次いで同じ展覧会の大阪会場(7月3日〜8月15)となった谷町四丁目大阪歴史博物館

最後にこの福富太郎コレクション展が開かれた天王寺あべのハルカス美術館

鏑木清方の人魚は大人気です。

この展覧会は来年、2022年9月の岩手県立美術館展まで巡回します。

つまり足かけ2年、「妖魚」は日本のどこかで展示され続けることになります。

「妖魚」だけではなく、恒富の「道行」や、「薄雪」など他の清方作品数点も「あやしい絵」展に出張していました。

福富コレクションを代表する名品が今年から来年にかけて大車輪の活躍をしていることになります。

 

「妖魚」は1920(大正9)年、第2回帝展のために描かれた作品。

出品当時、激しい毀誉褒貶にさらされた絵画として有名です。

後に清方自身はこの作品を失敗作として引っ込めてしまい、生涯、手元においていたのだそうです。

この妖しい人魚図については、発表当時、アルノルト・ベックリンの「静かな海」から清方が剽窃したのではないかという批判がありました。

画家自身はこの説をはっきりと否定しています。

そのベックリンによる人魚絵はベルン美術館にあります。

岩に横たわる人魚の構図自体は確かに似ています。

しかし、海から上がった場合、人魚という生き物は自然と横たわるしかないわけで、これを剽窃だとするにはもっと具体的な類似を指摘しないと苦しい。

実際、二つの作品から受ける印象は全く異なっています。

それよりも、1887(明治20)年に描かれたベックリンの幻想絵画が大正時代の日本で既に結構知られていたということに、むしろ、驚きます。

 

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それはともかく、清方自身が世間から隠してしまったこの人魚図を、その死後ほどなくして入手した福富太郎という人のセンスに驚きます。

この絵があちこちで展観されている現状をみると、独特の勘をもっていた人といわざるをえません。

 

この企画展は「コレクター福富太郎の眼」と題されています。

 

しかし、私は、むしろ、福富太郎の「嗅覚」とでもした方がしっくりきます。

福富太郎は晩年の鏑木清方と親交を結んでおり、清方から届いた手紙も展示されています。

福富は蒐集した清方の絵画を、画家本人に鑑定してもらい、清方自身、若い頃に描いた自作との再会をとても喜んだと伝えられています。

しかし、福富が特に愛したという「薄雪」にしても、「妖魚」にしても、清方が到達した、たとえば「築地明石町」の持つ洗練美にはほど遠い。

かわりに、どこか、絵から匂いのようなものが立ち上る、生理的なとでも言いたくなるような異様な空気感をまとっています。

これも「あやしい絵」展と重複していた「刺青の女」などは肌からうっすらと湿度まで感じられる艶かしさ。

「鼻」だけでなく、「皮膚」も福富が絵を選ぶその時には動員されていたように感じます。

島成園や鰭崎英朋の描いた女性たちにはその体臭まで描きこまれてしまったかのようなエグ味があり、鳥居言人の「お夏」に至ってはもう少しでポルノグラフィの世界に踏み込みそうな危うさがあります。

上村松園による一見楚々とした美人画の中にも、どことなく色気と母性がないまぜとなったような気配があって、福富が、どうやら、この画家に「序の舞」にみられる隙のない気品を求めていたのではないことが想像できます。

福富は岡田三郎助による有名な二枚の絵画を所持していました。

「ダイヤモンドの女」と「あやめの衣」。

前者を手元に残し、後者を手放しました。

金策に関わるものといわれていて、「あやめの女」は現在ポーラ美術館の看板名画の一枚になっています。

その完成度から見た時、私は「あやめの衣」の方がかなり高いように思えるのですが、展示されている「ダイヤモンドの女」には「あやめの衣」がもっている肌の美しさとは違う、独特の「女臭さ」の魅力が感じられます。

視覚というよりも、嗅覚、もっといえばフェロモンのようなものを絵から嗅ぎ取る力。
福富はそれを強くもっていたように思えます。

しかし、その「嗅覚」は、決してキャバレー経営者としてのセンスと単純に重なるようなものではありません。

美人画系の作品に特化して展観されがちな福富コレクションの中で、今まで焦点があまりあてられてこなかった明治洋画の一群からは、この人の「絵の力」そのものが醸し出す色気を捉える審美眼もはっきりと感じられます。

たとえば、川村清雄の龍図や静物画には女性はおろか人物さえ描かれてはいませんが、うねるように輝く油絵具の筆さばきそのものから艶かしさが立ち上がってきます。

 

福富太郎が、眼、だけではなく鼻も皮膚も、ひょっとしたら耳や舌も含めて、感覚と生理を総動員して選び抜いたコレクションが展観されています。

 

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さて、来年は東西の近美で鏑木清方の没後50年を記念した大規模展が予定されています。

こちらは「築地明石町」が主役の正調美人画が主流となりそうですが、「妖魚」の出現はあるのかどうか、楽しみです。

 

 

 

 

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