徳川家光の梟と若冲の仔犬|京博 新収品展 2022

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京都国立博物館 特集展示 新収品展

■2022年1月2日〜2月6日

 

京博が2019(令和元)年から2020(令和2)年度にかけて購入、または寄贈を受けた収蔵品が特集展示されています。

 

重文「法華経冊子」はとても小さい平安お経ブック。

新書版ほどの大きさですが、贅を凝らした料紙に優雅な筆致で貴族女性のうねりまくる髪や華麗な装束が描かれた名品です。

特に優美な図像が際立つ法華経「従地湧出品第十五」の部分が展示されています。

元々は朝日新聞創業者の一人、上野理一(有竹)の所蔵品。

京博は理一の息子精一からまとまった美術品の寄贈を受けていて、「上野コレクション」として知られています。

この作品も昨年春、上野理一ゆかりの品々を特集した「新聞人のまなざし」企画で公開されていました。

上野コレクションの一つとして、てっきり寄贈品と思っていたら、これは令和元年度の購入品。

お値段は1億円、です。

 

 

六曲一双のまばゆい大型金屏風が展示ケース内で輝いていました。

京都における江戸狩野ともいえる鶴澤派の立場を揺るぎないものにした鶴澤探索による「山水図屏風」。

宮廷や寺院の障壁画を数多く手がけたこの絵師らしく、手際よく中国古典の図像を墨一色でまとめあげています。

画題やふんだんに使われた金箔の量からみて、おそらく当時の最上層階級による発注品でしょう。

筆致や構図にひらめきのようなものは感じられませんが、江戸中期、京都における絵画趣味の一端が感じられる貴重な作品と思います。

こちらは個人からの寄贈品です。

 

探索の屏風とは正反対の、小ぶりながら筆づかいに抜群のひらめきが感じられる作品が池大雅「竹石図」。

白地に竹が描かれただけのシンプルな一幅なのですが、ちょっと神経質なくらい繊細に描かれた葉の表現に大雅のテクニシャンぶりが発揮されています。

大雅30歳頃の作品と推定されるそうです。

書画の神童として若い頃から有名だったこの人らしい才気ばしった雰囲気が後年の洒脱な作風とは違った魅力をもっているように感じました。

令和2年度の購入品で、価格は3百万円。

大雅らしさは乏しいかもしれませんが、なかなかのお買い得品だったと思われます。

 

他にも明代のシックに華麗な青釉の大壺や、三井南家伝来の円山応挙関連資料、永楽和全の古雅なデザインによるおしゃれな食籠などなど、素晴らしい買い物の数々や寄贈品が披露されています。

中でも人気がでそうという点では伊藤若冲の「百犬図」でしょう。

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伊藤若冲 百犬図(部分)

若冲最晩年の作品といわれていて、59匹の仔犬が縦長の画面に隙間なく戯れる様は、「動植綵絵」の構図との共通点も感じられます。

しかし、この作品は、相国寺において釈迦三尊を讃えるために描かれた「動植綵絵」とは根本的にその製作目的が異なっています。

京博の解説によれば、多産な犬にあやかった吉祥画で、いわゆる「ものづくし」絵の一種。

だからなのか、「動植綵絵」にみられる異様な気迫や、リアルと幻想が入り混じったような強烈な表現力は、私には、あまり感じられません。

描かれた犬にしても、写実性というより、いろんなキャラクター性が混じりあった仔犬の「型」が重視されているので、中には仔犬なのか子熊の変態なのかよくわからない図像があったりします。

丹念な描き込みはこの絵師らしいのですが、壮年期の筆力が感じられない分、柔らかく枯れてきてしまった印象も受けます。

元々は個人蔵の作品。

令和元年度、99百万円で購入されたものです。

ちょっと高い感じもしますが、大人気作品になることは間違いなく、すでに京博のキャラクターグッズとしても活躍しはじめていますから、長い目で見ればお買い得なのかもしれません。

さて、若冲とは違った魅力で人気が出そうなのが、徳川第三代将軍、家光が描いた「梟図」です。

これは個人からの寄贈品。

数年前、府中市美術館が開催した「へそまがり日本美術」展で徳川家光の「兎図」などが雪村や若冲といった奇想絵師の作品と並んで展観されたことがありました。

 

 

徳川家光幕藩体制を磐石なものにした将軍ということになっていますけれど、かなりエキセントリックな面をももっていた人です。

池内紀が『幻獣の話』というエッセイ集の中で家光の異常さを語っています。

父秀忠がせっかく建てた日光東照宮を徹底的に幻獣の魔宮に造り替えてしまったその異様ともいえる趣向と実行力。

一方、清水寺や、東寺の五重塔をはじめ、家光の命によって再建された建築物も数多く残っていて、現在まで残る京都のランドマーク作りに貢献した人物でもあります。

自らを家康の生まれ変わりと本気で信じていたこの人は、夢に出てきた東照大権現の姿を狩野探幽に描かせるという異常に贅沢なことまで実行しています。

もちろん政治的経済的な背景もあったのでしょうが、この将軍にはどこかクリエイティブなものへの執着があったようにも感じます。

この「梟図」は、「兎図」同様、突拍子もない造形が例えようもないユニークさをもっていて、一度見るとそのおかしな図像が目に焼き付いてしまう。

東京・養源寺にある「木兎図」とほぼ同じ構図です。

「木兎図」と比べると、フクロウの視線がやや鑑賞者側を向いているように見えます。
両図とも黒々と描かれた眼が珍奇な風情を醸している点で共通。

家光お得意のスタイルなのでしょうか。

家光は狩野派御用絵師たちに手ほどきを受けたともいわれるわけですが、その描き方に指導の痕跡はほとんど感じられません。

かといって将軍らしい筆遣いの豪胆さがみられるかといえば、それもない。

摩訶不思議な魅力をもった幻想の珍鳥図です。

おそらく市井の人が描いたものであったならばすぐに捨てられてしまった絵。

でも将軍様が描いたとあれば、ありがたく家臣はいただき、家の宝とせざるをえません。

結果として、家光ゆかりの寺や家臣の家系に何点か絵画が伝わることになりました。
「梟図」は家光の乳母、春日局ゆかりの稲葉家に伝来、寄贈者も同家の末裔とみられます。

近年の家光画再評価(?)のトレンドにのった格好となった寄贈品。

京博の収蔵品となったことで、今後、公開される機会が増えるのではないでしょうか。

 

なお、京博による近年の文化財購入品リストは下記の通りです。

https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/purchase/index.html