ロニ・ホーンとピピロッティ・リスト

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「ロニ・ホーン:水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?」展

 ■2021年9月18日〜2022年3月30日
 ■ポーラ美術館

 

ガラスはとっても不思議な物質です。

近年、東京大学他、複数の大学研究機関によって、ガラスが「固体と液体の中間状態にある」という研究論文が公表されました。
その中で、この物質は分子レベルで固体とも液体とも判別できない特異な性質をもっていることがあらためて示されています。

この研究によれば、ガラスは「固体的な振動」と「液体的な流動」の中間的な運動を分子レベルの「再配置」によっておこなっているのだそうです。
つまり、一見不動の固体に見えるガラスは常に動いている。
なにやら「無常」にも通じそうなくらい深淵な物質のように思えてきます。
詳細は下記、東大のレポートで確認することができます。

www.u-tokyo.ac.jp

 

ロニ・ホーンが、おそらく途方もない手間をかけて造りあげた「無題」のガラスたち。
側面が柔らかく曇ったオブジェは、遠くから見るとまるでドロップ飴のようにも見えます。
しかし、真上からその表面を見ると、水なのか固形物なのかわからないくらい極度に純化された透明の世界が現れます。
視覚と、想像の触覚(触ってみたくなるような感覚)が混然となり、まさに、液体と固体の境が曖昧になってきます。

作家は2020年に発表されたガラスの分子研究に関する論文を読んではいないでしょう。
しかし、幾つもの「無題」作品からはガラスのもつ多義性、曖昧さ、そして「水」の気配が静かに漂ってくるように感じます。

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ロニ・ホーン「鳥葬」

ポーラ美術館の遊歩道に設えられた「鳥葬」。
鑑賞したとき、この巨大なガラスの柱のてっぺんには雨水が溜まっていました。
そこにたゆたう枯葉。
実際の水が、ガラスと同化しているような不思議な光景に見入ってしまいました。

 

展覧会場では、ロニ・ホーンがデンマークルイジアナ美術館で行ったパフォーマンス映像が流されています。
ルイジアナ美術館のYouTubeチャンネルで全編が公開されています。

www.youtube.com

夕闇が迫る美術館の庭で作家がオーディエンスたちに語っているのは「水」のこと。
テムズ川に身投げした人々のエピソードと共に、この河の「黒い水」のこと等が語られていきます。
語りの終わりには、実際、会場が夜の闇、「黒い空気」に包まれてしまう。
ロニ・ホーンの落ち着いた口調の中に、水の黒さと夜の空気が混じりあう。
素晴らしい映像作品です。

この企画は、ポーラ美術館では初となるモダン・アーティストの個展なのだそうです。

京橋のポーラ美術館アネックスでは、ほとんど常時、現代作家の企画を組んでいるので、箱根の本家がいままで開催していなかったことは意外でした。

美術館の佇まいからしていかにもモダン・アート向きなのに、こうした企画を避けてきた背景には箱根仙石原に立地していることが関係していたのかもしれません。
温泉観光ついでの鑑賞者たちには尖った現代作家よりも印象派、という方針がとられてきたということでしょう(実際、ロニ・ホーン展と並行して印象派コレクション展がしっかり開催されています)。

しかし今回達成した完成度の高い個展をみると、アネックスだけではもったいないと思います。
もっとも、アネックスでの長年にわたるモダンアートとの関わりが今回の展示につながったともいえるわけで、今後は京橋と強羅、二ヶ所のポーラ・ミュージアムが相互に侵食・共鳴しあうような企画に期待したいところです。

 

さて、「水」を強く感じさせる海外モダン作家の個展が昨年、もうひとつ、日本で開催されました。

2021年4月から6月にかけて京都国立近代美術館で開催、その後、水戸芸術館に巡回した「ピピロッティ・リスト」展です。

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ピピロッティ・リスト「4階から穏やかさに向かって」(一部)

ロニ・ホーン(Roni Horn 1955-)とピピロッティ・リスト(Pipilotti Rist 1962-)。
両者に、特段、共通点があるわけではありません。
ドローイングからガラスといった、いわば「手技」が主体のロニ・ホーンに対し、ピピロッティ・リストの作品は映像の比率がとても高いし、世代も微妙にズレています。
ほぼ同時期にたまたま日本で二人の特集が企画されたということにすぎないといえます。

しかし、リストの作品にもホーンとは違った意味で「水」が非常に重要なモチーフとして登場します。
特に「4階から穏やかさに向かって」と題されたヴィジュアル・アート。
川の中を無数の水草たちや、リスト本人と思われる人体がゆらゆらと、無限とも思われる時間の中で漂っています。
鑑賞者は床に設置された柔らかいベッドに寝転び、天井に映し出される水中世界を眺めることになるのですが、次第に水の中に没入していくような曖昧な感覚に侵食されていくことになります。

 

www.youtube.com

 

ロニ・ホーン展のタイトルには「水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?」とあります。
一方、ピピロッティ・リスト展には「-あなたの眼はわたしの島-」と副題が付けられていました。

どちらも「うちとそと」、自我と他者の関係が問われています。
そして、その媒介物として「水」がある。
奇妙な共通点、です。

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ロニ・ホーン 「静かな水」(一部)


しかし「水」以外でみると、両者の作品から感じられる要素はむしろ、「差異」の方が目立ちます。

前述のルイジアナ美術館でのパフォーマンスでライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの映画を引き合いに出すなど、ロニ・ホーンの語りには女性性よりもむしろ男性性、もっといえばホモセクシャルな要素すら感じます。
しかしピピロッティ・リストはその正反対。
時には経血を想像させるような映像を何の衒いもなく作品に取り込んでしまう。
過剰なまでに女性性が意識されています。
両者とも女性ですが、創造された作品から漂うセクシャリティは真逆ともとれます。

しかし、その差異が明確であればあるほど、「水」がもつ無色透明の官能性が共通点として際立ってもくるように思えます。

 

ロニ・ホーンの「黒い水」も、ピピロッティ・リストの「赤い水」も、自-他の境界、生死の境界を往来するような要素。

前者はガラスによって、後者はその映像によって、水の持つ両義・多義・相互侵食性、そしてエロティシズムを表出しています。

www.polamuseum.or.jp

 

www.momak.go.jp