東本願寺 御影堂門の内部

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東本願寺(真宗本廟)、御影堂門の上層楼閣部分が特別公開されたので登ってみました。
(今回の特別公開は2022年1月8日〜3月18日まで)

 

高さ26.6メートル。
木造の二層楼門としては日本最大なのだそうです。
烏丸通に威容を誇るランドマーク建造物ですが、普段その楼上に登ることはできません。

建造は1911(明治44)年です。

東本願寺の境内は1864(元治元)年、禁門の変(蛤御門の変)で全焼。
約30年後の1895(明治28)年、御影堂や阿弥陀堂といった主要堂宇が再建されています。

御影堂門(ごえいどうもん)の再建はそれから15年以上遅れたことになりますが、これだけの巨大建築群を半世紀の間に復興させてしまう門徒パワーにむしろ驚きます。

その明治の再建からも100年以上経過し、どの建物も非常に巨大な木造建築であることから、耐震補強も兼ね、2003(平成15)年から2015(平成27)年にかけて大規模な修繕工事がなされています。

2019(令和元)年、御影堂や阿弥陀堂などと共に御影堂門も国の重要文化財に指定されました。

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御影堂から見た御影堂門

もともと一般参拝者による頻繁な登楼を想定していないのでしょう。
上層階へと設けられた階段は恐ろしく急勾配。
しっかり手すりが設けられてはいるものの、当然ながらほとんど踊り場もなく、容赦ない造りです。

登りながら途中で下を振り返ることを躊躇してしまうくらいスリリングな体験。
うっかり足を滑らせようものなら、大怪我間違いなしです。
本当に危ないので寝不足状態とか、飲んだ後には登らない方が良いと思います。
降りる方は別の意味でも怖い。
自分が落ちることより、後方から人が落ちてきてその巻き添えをくらうのではないかという恐怖。
コロナの影響から事前予約制の人数制限が徹底できる今だからこそ安心して登れる楼閣ともいえます。
(予約していなくても空いていれば問題ありません。私も予約せずに入場できました。)
なお、楼門内部は撮影NG、楼上からの眺望はOKです。


息を切らしながら階段を登り切ると当然に眺望が一気に開けるわけですが、残念ながら、ハニカム型に編まれた防御ネットの金網がかなり緻密に張り巡らされているので視覚上の開放感はあまり味わえません。
しかし欄干はさほど高くなく、吹き抜ける風を全身で受け止めることができます。

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御影堂門上から見る京都タワー

修復されてまだ数年しか経っていないからでしょうか。
屋根を支える組物は真新しさすら感じさせ、がっしりと存在感を主張しています。
こんもりとした曲線が美しい擬宝珠や幾何学的な窓の装飾など、近世和様建築のすっきりとしたデザインを随所に見ることができます。

御影堂門再建は市田重郎兵衛とその次男辰蔵の采配によるもの。
重郎兵衛は同じく東本願寺阿弥陀堂再建の棟梁を務めた木子棟斎の弟子筋にあたる人で、辰蔵とともに佛光寺阿弥陀堂知恩院阿弥陀堂再建にも腕をふるっていることが確認できます。

竹中大工道具館の加藤悠希研究員による詳細な両名に関するレポートが公開されています。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/dougukan/26/0/26_2603/_pdf

なお平成の大修復では日建設計がコンストラクション・マネジメントを担っています。

 

楼門上層階はかなり広いのですが、内部は意外にがらんとした印象。
中央には明治の大仏師、田中紋阿、田中文弥による釈迦三尊像が安置されています。
しかし、他には特に荘厳らしいものがありません。
豪華な内部装飾が施された御影堂や阿弥陀堂とは対照的です。
内奥は薄暗くひんやりとした空気が漂っています。
内部まで光が届く時間帯は東山から太陽が昇る早朝の頃だけかと思われます。

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しかし、本来、ここの天井には色鮮やかな天女の図像が描かれたはずでした。

再建御影堂門の着工は1907(明治40)年です。
このとき、京都画壇の巨匠、竹内栖鳳に楼上天井画の制作が真宗大谷派から発注されます。
画題は「飛天舞楽図」。
東本願寺内にこの天井画を描くための専用画室が設けられるほどの力の入れようでした。
ところが栖鳳の筆は思うように進まず、モデルになった女性が急死したりと、色々事情が重なった結果、計画は断念されてしまいます。
なおこのとき栖鳳が描いた縦8メートルにも及ぶ下絵3幅が東本願寺に保管されています。

実際に天井を見て感じたのですが、ここは絵を描く面積としてはあまりにも広大です。
いくら大作の実績がある栖鳳でも、この大天井を天女で埋め尽くすという画題については、相当に悩んだのではないでしょうか。
現在の天井は白地のまま残されています。

 

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天井画を描く約束が果たせなかった代わりに、というわけでもないのでしょうけれど、竹内栖鳳は御影堂門前にある蓮形噴水の原案を手がけています。
1918(大正7)年の設置。
噴水自体の設計は武田五一です。
(現在水飛沫をあげている噴水は戦後に復元された二代目)

御影堂門上からその噴水を見下ろすことができます。
噴水がある場所はまもなく京都市によって市民向けの公園として再開発されることになっています。
噴水は残されるようですが、現在とはかなり様子が違った景色になるのではないかと想像しています。


御影堂門天井画計画は頓挫したものの、竹内栖鳳はもともと東本願寺第二十三代法主大谷光演とかなり親しい関係にあり、その後も東本願寺との関係が悪化することはありませんでした。
1934(昭和9)年には大谷光紹の得度式にあたって大寝殿障壁画を制作しています。

 

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御影堂門上から見た御影堂・阿弥陀堂・手水屋形

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