イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜 ―モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン
■2022年1月28日〜4月3日
■あべのハルカス美術館
昨年10月から今年の1月中旬まで、丸の内の三菱一号館美術館で開催されていたイスラエル博物館の印象派コレクション展。
天王寺に巡回してきました。
三菱一号館美術館は、ある特定のボリューミーな鑑賞者層を狙っているところがあり、やや「甘さ」や「かわいらしさ」を意識した企画が多いように感じます。
そういう美術館が主催に絡んだ「印象派展」ですから、よくありがちな、毒にも薬にもならない、軽く楽しめる展示になるのではと予想していました。
しかし、良い意味で予想は外れました。
「甘くない」絵画が連続しています。
印象派の少し前の世代、コローやドービニーの作品から展示が始まります。
これが、まず、素晴らしいのです。
小規模な作品が大半ですがどの絵も完成度が高く、派手さがないかわりに丁寧に描きこまれた空や海や川の景色が新鮮な空気感を伴って立ち上がってきます。
クールベの重々しい森の情景も静かな迫力をもつ傑作。
大半が日本初公開です。
モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン、セザンヌとメジャーどころが次々と展示されているものの、確かに見覚えのない作品が多い。
その分、新鮮な発見の楽しみがあり、例えばゴーガンの「ヴォージラールの家」、「犬のいる風景」などは、彼の他作ではなかなかみられない深沈とした色彩の配合が観られると思います。
実に渋めのラインナップ。
網羅的に印象派前後の画家を紹介しているわけではなくて、偏りがあります。
まずマネが一枚もありません。
カイユボットや、ベルト・モリゾなどの女流系もなし。
ドガはかろうじて一枚だけ。
代わりに存在感を漂わせているのが、ピサロです。
ユダヤ系の画家ということが影響しているのでしょう。
他の画家に比べて大判の充実した作品が揃えられています。
中でも「エラニーの日没」と「チュイルリー宮庭園、午後の陽光」の2作品に特に惹かれました。
前者はまるで抽象画の域にあのピサロが挑んでいるかのような「光」そのものの直接的な把持の試みがみられ、後者は逆に遠景の工事用クレーンまでがリアルな遠近感を持って捉えられています。
8回開催された印象派展に、結局最初から最後まで唯一律儀に付き合ったピサロの「幅」を存分に堪能させてくれる展示だと思います。
東京展ではとにかくレッサー・ユリィ(Lesser Ury 1861-1931)の話題が突出していました。
この人もユダヤ系です。
丸の内の美術館では、イチオシだったモネの睡蓮をさしおいて、ポストカードがすぐ売り切れたという「夜のポツダム広場」。
実際に観てみると確かに素晴らしい作品です。
雨と光、建物と人々、それを包む夜の空気。
描写手法は一見印象派風ですが、一方でとてもシャープに遠近法が駆使されているので、画面右手の消失点に向かって都市の寂寞とした気配が吸い込まれていくような効果をあげています。
また、「風景」と題された一枚は印象派というよりむしろ象徴派に近く、不気味さと抒情性が渾然一体となったような景色が単純な構図の中に描かれています。
レッサー・ユリィはここに展示されているフランス系の印象派たちと直接的なつながりがあるわけではありません。
「ドイツ印象派」の一人といわれるそうですが、そのドイツ印象派自体がフランスの本家に比べると非常に存在感が薄く、ユリィ自身の作風もその手法はともかく「印象派」という言葉の響きからは遠い感じを受けます。
「冬のベルリン」はワイマール共和国時代の退廃ムード、その残滓が白々と漂っているような雰囲気をもっています。
この画家はフランス系の印象派展というより、「ワイマール時代展」というような企画こそふさわしいのではないでしょうか。
本展ではユリィだけが突出して孤立しているため、それだけ存在感が強烈に放たれる効果をあげているともいえます。
これはイスラエル博物館側の仕掛けた一種の「企み」ではないかとも勘繰ってしまいます。
大人気となったユリィ。
しかし今回の作品4点が、日本側の求めに応じて来日しているかといえば、そうではなく、三菱一号館美術館側はむしろ知名度の低い彼の作品を出品リストから外そうとイスラエル博物館側に要求してもいます。
イスラエル博物館は、なんと、それを見事に突っぱねました。
(下記「美術展ナビ」記事にその経緯が記載されています)
【探訪】一躍人気のレッサー・ユリィ 独特の作風がコロナ禍の人々の心に響いた? 「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」展(三菱一号館美術館)で注目 – 美術展ナビ
結果として日本の鑑賞者はモネやルノワールよりもユリィに今回心酔してしまったわけで、イスラエル博物館の「企み」が見事に功を奏した格好になりました。
とてもしたたかなミュージアムです。
今回の展覧会図録は、2006年、当時イスラエル博物館近現代美術部門のリーダーだったステファニー・ラフム(Stepahnie Rachum)が著した"Impressionist and Post-Impressionist Painting and Sculpture in the Israel Museum, Jerusalem"という書籍をベースに作成されています。
いわば、イスラエル博物館の誇る印象派名品コレクション・カタログです。
レッサー・ユリィは本書にも取り上げられていますから、日本展のためにこの画家がわざわざ組み込まれたわけではないことがわかります。
同館が誇るマスターピースを堂々と忖度なくぶつけてきた展覧会といえます。
本展がいつもの三菱一号館美術館風の「甘くかわいい印象派展」にならなかったのは、実質的なキュレーターたちがイスラエル博物館側で独占され、日本側の意向を良い意味で完全に無視してくれたからではないか。
そんな推測を楽しんでいます。
ただ日本の主催側もUryを「ウリ」とも「ユリー」ともせず、あえて「ユリィ」と小さい「ィ」をつけて表記し可愛らしいインパクトを残そうとしているようではあります。
実際のLessre Uryは日本語表記の響きとは真逆のゴツゴツしたおじさんなのですが。
妄想はこのくらいにしておこうと思います。
なお、あべのハルカス美術館ではユリィの「夜のポツダム広場」「冬のベルリン」のほか、モネの「睡蓮の池」、ゴーガンの「ウパ・ウパ」、ルノワールの「花瓶にいけられた薔薇」、ゴッホの「プロヴァンスの収穫期」のみ写真撮影OKとなっています。
平日の午後、さほど混雑はしていませんでしたが、閑散というほどではなく、途切れなく鑑賞者が連なっている感じ。
会期は4月までとまだ余裕があるものの、また緊急事態宣言が出て全館閉館ということにもなりかねないので早めに観ておこうという動きもひょっとしたらあるのかもしれません。