聖林寺十一面観音 継承の記録

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国宝 聖林寺十一面観音 ―三輪山信仰のみほとけ

 ■2022年2月5日〜3月27日
 ■奈良国立博物館

 

まず奈良博と出品した各寺社の英断に感謝したいと思います。

博物館の東新館をまるごと使い、とてもゆったりとした空間を確保しています。

その上で、東京国立博物館展(2021年6月22日〜9月12日)では大型展示ケースに囲われていた聖林寺の十一面観音菩薩立像が、何ら遮るものなく、360度、あらゆる方向から鑑賞できる状態で、シンプル、かつ、厳かに展示されています。

法隆寺の国宝地蔵菩薩立像、古式が美しい正暦寺の日光・月光菩薩立像も、広々とした鑑賞スペースを確保しつつ、ケースなしで十一面観音を南北から囲むように配置されています。

日本仏像彫刻の最高傑作と評する人もいる聖林寺十一面観音菩薩が、その魅力を100%発揮できる環境が用意されていました。
圧倒されました。

東博と同じ基準でケース展示をしても良さそうなのに、どういう事情があったのかわかりませんが、とにかく鑑賞者にとってみればありがたいことこの上ない措置であり、大英断だと思います。

特徴の一つとしてあげられる背中から肩にかけての肉付きの美しさが、今回の展示では存分に堪能できます。
何度もこの像の周りを巡ってしまいました。

聖林寺は十一面観音収蔵館の改修工事に入るのだそうです。
新たな陳列環境がどうなるのか不明ですが、今回のようにゆったりと夾雑物を排した展示が聖林寺で再現されるのかどうか。
その意味でもこの奈良博展はとても貴重な鑑賞機会だと思います。

 

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多くの日本美術史テキストで必ずといっても良いくらい取り上げられている傑作天平後期木心乾漆仏。

しかも、この聖林寺十一面観音菩薩立像には、ある有名な逸話がつきまとってきました。

十一面観音を全国的に有名にした人物、和辻哲郎
かつての奈良博(現「なら仏像館」)に陳列されていた仏像の姿を『古寺巡礼』における名文で絶賛し、多大な宣伝効果を生みだしました。

そして、白洲正子
『十一面観音巡礼』の中で和辻文学をさらに捻って継承し、聖林寺像のファンを大きく増やすことに貢献していると思います。

しかしこの二人は、十一面観音像の来歴に関して一種のデマを拡散させた張本人でもあります。

和辻は、人から聞いた話で信憑性は確かではない、と、慎重に予防線を張りながらも、この像がかつて神仏分離による嵐の中で、道端に捨てられ放置されていたところを聖林寺の住職が憐れんで拾い持ち帰った、というエピソードを紹介しています。

白洲は、予防線を張ることもなく、住職から聞いた話として同じような来歴をいかにもありそうな話として記述しています。

 

しかし、これらの逸話は全く事実ではありません。

その証拠が今回の展覧会で参考出品されています。

聖林寺に伝わる「覚」と記された文書。
そこには大神神社の神宮寺であった大御輪寺から、聖林寺が十一面観音や地蔵菩薩等を預かったことが明確に記録されています。

確かに、廃仏毀釈のムーヴメントを危惧した大御輪寺が寺宝を避難させた事実はあります(そして残念ながら予感は的中し大御輪寺は廃寺となってしまいます)。

しかしそれらはしっかり継承の手続を経て丁重に聖林寺に預けられたのであって、『古寺巡礼』にある「残酷にも路傍に放棄せられるような悲運」に遭遇してもいなければ、『十一面観音巡礼』で語られる「神宮寺の縁の下に捨ててあった」状態に置かれていたものでもありません。

十一面観音像がフェノロサによって「発見」され一躍復権してから、勢いを取り戻した仏教勢力側が巧に廃仏毀釈の悲惨さを強調、脚色した動きに、二人の名文家がのせられてしまった結果広まった偽の伝説。

聖林寺に伝わった真相を語る「覚」の文書は控えめに展示されていましたが、十一面観音立像にこびりついてしまった偽情報をあらためて払拭する効果をきっちりあげていたように思います。

この十一面観音をめぐるデマ伝説は、畑中章宏が『廃仏毀釈』(ちくま新書)の中で詳しく取り上げています。

 

展示の形態は素晴らしいのですが、この展覧会にはちょっと違和感を覚える部分もありました。

本展は、2020年、文化庁主導による「日本博」の一環として開催される予定でした。
しかしコロナによって一年順延。

日本博は東京オリンピックと関連していた一種の国による文化関連施策です。
ということなのか、この展覧会のテーマは「日本人と自然」という括りで扱われていて、寺宝を継承してきた大御輪寺や聖林寺などの功績よりも、まず大神神社の「自然崇拝」に焦点があてられています。

確かに古墳時代から伝わった大神神社所蔵の遺物など、素晴らしいものもありますが、そこが重要な展示構成にはそもそもなっていません。
にもかかわらず、どこかピントがズレている説明文が大々的に会場には掲示されています。

むしろその「自然崇拝」的神々の立ち位置を曲解し、廃仏毀釈というとんでもない文化財被害をもたらせた近代日本初期の実像と、一方で、その荒波をかいくぐって今に美を伝えてきた「継承」の力を素直に伝えた方がよほどしっくりくるような気がします。

十一面観音の保存と展示に意を砕いたフェノロサの功績をほとんど展示説明文中で強調していなかった姿勢にも疑問を感じます。

長いものには巻かれろ風の典型的お役所仕事のようにも思えます。
しかし「日本人と自然」的な胡散臭い政治力をレバレッジとして、コストがかかる特級国宝の展示予算を確保したのだとすれば、文化庁は、実は、したたかな仕事をされたのかもしれません。

 

そういった生臭そうな背景を、約150年ぶりに顔を揃えたかつての大神神社大御輪寺の仏たちは一掃してくれるような美しさをもって佇んでいます。

 

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