亀岡末吉 旧忠魂堂(正法寺遍照塔)の折衷美

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大原野神社参道の向かい側に真言宗東寺派の寺院、正法寺があります。

阪急バス・南春日町の停留所から徒歩8分ほど。

なおこのバス停には、とても本数は少ないですが、洛西バスターミナル発の京都市営バスも止まります(臨西2系統)。

kyoto-shoboji.com

 

境内に入るとすぐ右手の小高い場所に、鮮やかな朱色が見えてきます。

亀岡末吉が建築家として最初に手がけた作品。

旧忠魂堂。

今は正法寺遍照塔とその名前を変えています。

京都市指定有形文化財です。

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亀岡末吉 正法寺遍照塔



塔の前に京都市が設置した説明板があります。

詳細かつ簡潔にこの建築を解説しているので全文下記に引用してみます。

 

京都市指定有形文化財 
正法寺遍照塔(旧忠魂堂)一棟

正法寺遍照塔(旧忠魂堂)は、明治41年(1908)、
日露戦争戦没者慰霊のため京都尚武義会により高台寺
境内南側の広場(東山区下河原町)に建設されたもので、
平成22年、当地に移築された。

設計主任を京都府技師亀岡末吉が担当し、明治41年
3月に起工、同年9月に竣工している。亀岡は、社寺建築
を中心とした設計活動を展開し、「亀岡式」と名付けられた
華麗な建築意匠は、当時の建築界に大きな影響を与えた。
遍照塔は亀岡が手掛けた最初の作品である。

建物は六角二重塔という特異かつ稀有な形態で屋根は
宝形造チタン葺とする。意匠には古代から中世にかけての
社寺建築の様式細部が採用される。下層の円柱は、飛鳥時代
から平安時代前期にその遺例のある「胴張り」、蟇股は平安
時代後期から室町時代以前にみられる様式とし、上層の
高欄の斗束は下の広がった撥形で、奈良時代後期まで遺例
が認められる組高欄に範をとる。

本建築は、大正以降、近代社寺建築の作風手法に影響を
与えたとされる「亀岡式」意匠確立のための歴史的創生
源であったと位置づけられ、近代日本における社寺建築の
進展・形成過程を知る上で、きわめて貴重な遺構である。

平成26年3月31日指定
京都市

 

今は東山霊山観音駐車場となっている場所から移築されて10年あまり。

おそらく一旦解体され塗装なども更新されているのでしょう。

100年以上経った木造建築とは思えないくらい真新しく、朱色に輝いています。

チタン屋根の光沢が失われていないため、一層目の屋根に差した日光が二層目の組物に反射し美しい光彩を与えています。

しかし、もともと「忠魂堂」として東山に建っていたとき、屋根は檜皮葺だったとされていますから、現在の印象とはかなり違って見えていたのかもしれません。

その屋根上に舞っているのは金色に輝く金銅製の鳥。

後光のように輝く繊細華麗な装飾が付属しています。

 

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京都市の説明板にあるように、実にさまざまな時代の様式を組み合わせた、いわば折衷様式なのですが、違和感なくそれぞれの意匠がぴたりとはまっているので、全体から受ける印象はむしろすっきりとすらしています。

饒舌な細部とスマートな全体像。

この両立がまさに亀岡マジック。

とにかくかっこいい塔です。

 

旧忠魂堂は亀岡末吉のデビュー作です。

この後、仁和寺の諸堂、東本願寺勅使門など、次々と傑作を生み出します。

しかし忠魂堂は、それら再建寺社建築とは違い、慰霊モニュメントです。

つまりある程度自由に造形できた面があるわけで、そこが「ありそうでない幻想の古代中世塔」の趣をこの建築に纏わせているように感じます。

亀岡は平等院鳳凰堂をはじめ、多くの古社寺修復に携わっていました。

その際に培った各時代の建築様式美を掴み取る感性を、初めて任されたオリジナル建築物に遠慮なく投入した成果が忠魂堂といえるかもしれません。


洗練度合いから言えば、仁和寺宸殿のレベルには達していないと思われますが、ユニークな存在感を漂わせている点で、とても好きな建物です。

 

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