千種掃雲「山田之冬」

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京都国立近代美術館では、現在「2021年度第5回コレクション展」が開かれています。
(2022年1月20日〜3月20日)

2021年度 第5回コレクション展|京都国立近代美術館 | The National Museum of Modern Art, Kyoto

 

季節にちなみ「冬の日本画2022」と題されたコーナーが設けられ、堂本印象「冬朝」などの名品がゆったりと展示されています。

 

千種掃雲(1873-1944)の「山田之冬」に特に惹かれました。

1934(昭和9)年、画家晩年期にさしかかった頃の日本画です。

礼記念京都美術館展に出品された由緒をもちます。

1999(平成11)年、京近美に寄贈されました。

縦約175、横約88センチ。

簡素な表装に裏打ちされ、水田に小川、林の奥に冬山の景色が描かれた一幅です。

 

前景は非常に写実的なのですが、後景になるにしたがって微妙に様式的な描画に遷移していきます。

中央に孤立して佇む木。

どこにでもありそうな冬景色なのに、どこか現実と空想の気配が入り混じってくるように感じられます。

東山魁夷風のわかりやすい抒情系山里風景画になってしまいそうなところを、一歩踏みとどまった、その緊張感が素晴らしい作品です。

 

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千種掃雲 山田之冬

千種掃雲は京都に生まれた画家ですが、10代後半、神戸の茨木翠岳という外国向けの美術作品を手がけていた画家にまず弟子入りしています。

このスタートが和と洋を行き来してしまうこの画家の性質を決定づけてしまっているのかもしれません。

その後、京都に戻り竹内栖鳳のもとで本格的に日本画を学ぶようになりますが、その一方で、浅井忠が開いた聖護院洋画研究所にも通い洋画の習得に励むようになります。

 

京近美はこの画家の作品を多く所蔵しています。

しかも日本画と洋画、どちらもそれなりの数があり、リストだけみると日本画家なのか洋画家なのか判然としないくらいです。

結局、どちらの分野でも官展への入選は果たせず、世間的に大きな成功をおさめることができなかった掃雲は、教育者としての活動で生計を立てていたようです。

 

でも「山田之冬」にみる確かな技術に裏打ちされた詩情豊な写実力を観ると、もっと評価されても良い人ではないかと感じます。

正直、洋画と日本画の間を彷徨っていたような明治期における彼の作品、例えば「新聞舗」(京近美)などをみると、当時の風俗を新鮮にとらえた一場面が軽快に描かれているようでいて、全体としてどこかチープな印象を受けます。

おそらく、和洋、両ジャンルの整理が自分の中でついた、昭和に入ってからの日本画、特に風景を題材にした作品あたりから、独特の詩情とリアルが混じりあうような空気感をまとった名品が生み出されていったのではないでしょうか。

 

千種掃雲は、南北朝の動乱期、後醍醐天皇に従って活躍した公家千種忠顕の子孫であることを、晩年、特に意識していたそうです。

昭和初期、南朝方の忠臣を顕彰する時代の空気が色濃く残っていた時代のことです。

京近美には掃雲が祖先千種忠顕を題材にした作品がいくつか残されています。

ただ、これらは主に歴史画風のもので、風景画に匹敵するような完成度の高さは見られないような気がします。

日本画の革新を目指して洋画を学びながら、晩期には太平記に先祖を想う歴史画にたどりついた千種掃雲。

実力はありながら、作風が和と洋の間であまりにも二転三転して一定せず、その晩年には南朝忠臣の家系を誇ったために結果としてナショナリズムにちょっと足を踏み入れてしまったかのようにみえてしまう人です。

こういう画歴が影響したのか、今となってはどこか実力の外で損をしてしまったかのようなところがある画家ですが、「山田之冬」には彼の最良の部分が現されているように思います。

 

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