■2022年1月29日〜2月27日
■京都芸術センター ギャラリー北・南・和室「明倫」
今年は松澤宥(1922〜2006)の生誕100年にあたっていて、故郷の下諏訪では街ぐるみのイヴェントが企画され、長野県立美術館でも記念展を開催していますが、何しろコロナと寒さで出かけられず、信州詣は見送らざるをえない状況となりました。
ところが、思いもかけず、京都で松澤をオマージュしたアートに出会うことができました。
「湖に見せる絵(諏訪湖)」と題された原田裕規の映像は、松澤宥が1967(昭和42)年に発表した言葉、「湖に見せる根本絵画展」を、まさに「見せる」という芸に変換した作品です。
50数年前、日本概念派の巨人が置いていった作品が、今年2022年冬、凍結しなかった諏訪湖の光を受け止めて反射しているかのようです。
会場に置かれていた作品リスト内に松澤作品が掲載されています。
短いので全文写してみると下記の通り。
あなたは招かれざる客に過ぎない あの九つの不可視の白色円形の
根本絵画は人間に見せるためのものではなく 文字通り湖に見せる
ためのものである あなたはただかたわらからあれらの交信の場を盗
み見ているにすぎない 人間は無数の見えないものから挑戦を受けて
いる 見えないものを見 見えるものを見ないことを今や人間は学ば
ねばならない
松澤宥 《湖に見せる根本絵画展》(1967年)
松澤の言葉を通して、原田のパフォーマンスが、諏訪湖に何かを「頼んでいる」ようにも見えてきます。
画像に溶け込む湿った浜の水音や鳥の鳴き声。
原田の作品としては短い映像ですが、いろんな方向に感覚と想念が分散しては集中するような体験を与えてくれたように感じました。
金沢21世紀美術館で公開され、話題になったという《Waiting for》をまず観ました。
三種類の俯瞰CGが三画面で同時に流される中、原田自身の、か細い、どこか若い孤立感を含めたような声によって生物名らしい単語が読み上げられていきます。
耳慣れない名称が続きます。
はじめ、これは「絶滅した生物」の名でも読みあげているのかと推測しました。
環境破壊へのプロテストとして。
とすれば、ちょっと鼻につくかなあと思っていたら、違いました。
「アズマヒキガエル」。
と、語られたとき、この両生類はいくらなんでもまだ絶滅していないよね、と気がついたわけです。
あとで解説紙を読んだら「地球上に現存する全ての動物の名」とのこと。
33時間19分かかるのだそうです。
全部、原田の語りを聴き終えるには。
これは、単なる「環境」云々の作品ではないと感じました。
延々と続く俯瞰映像に淡々と被る作者の声。
構造としては、ロバート・スミッソンの「スパイラル・ジェッティ」を撮影したドキュメンタリー映像と同系ともとれます。
地球に刻んだ土木彫刻と、すぐいなくなるかもしれないけど、今は地球上に確かにいる全動物の名前。
それぞれ全く違う内容を捉えている作品ですが、「とてつもなく大きくて儚い有限性」のようなもの、を表現している点でどこか共通しているようにも感じました。
京都芸術センターの4階にある和室「明倫」では《One Million Seeings》と題された映像作品が展示されています。
これも非常に長い作品です。
私が見た部分は、おそらく東新宿あたりの高層ビルから眺めた大久保駅周辺の景色を背景として、原田が写真を一枚一枚眺めては置いていくシーン。
無数の匿名存在が観る者に固着していく息苦しさと、親密さが伝わってくるようです。
京都芸術センターにおける原田裕規の個展は1月末にスタートしています。
「湖に見せる絵(諏訪湖)」は2022年製作となっていますから出来立てホヤホヤの新作。
なぜ、諏訪湖だったのでしょうか。
松澤が介在していたことで、得心しました。
100年前に生まれ下諏訪に根を張った概念派が原田とこの湖を結びつけたのでしょう。
諏訪には温泉目当てで何度も訪れたことがありますが、原田が「諏訪湖に頼んだ作品」はどのあたりで撮られたのか見当がつきません。
微妙に濡れた浜、鳥の鳴き声、茫漠した街並みの遠景など、一般的に見られる諏訪湖の景色とはやや違った「どこでもない諏訪湖」のようにも見えます。
行ってみたくなってきました。