東福寺 法堂

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京都市観光協会の主催により、東福寺法堂(本堂)の内部が東司と共に特別公開されました(2022年1月8日〜3月6日)。
三門の楼上などはよく公開されていますが、法堂の内部公開は珍しいと思います。
覗いてみました。

 

応仁の乱による兵火をもかいくぐり、室町以来の姿をとどめていた東福寺ですが、惜しいことに、1881(明治14)年、寺内の失火で中心的な建物であった法堂等を焼失してしまいます。

現在みられる法堂は1934(昭和9)年に再建された、いわば近代建築です。

しかし、室町時代から残る国宝の三門(1425・応永32)と姿を重ねても、法堂は不思議なほど違和感なく溶け込んで境内全体の空気を支配しています。

言われなければ、三門と法堂が500年以上の時を隔てた建築物とは気がつかないくらい両者は自然に景色をつなげているように感じます。

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東福寺 三門

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東福寺 法堂(本堂)

法堂の再建は1934(大正3)年、宮大工の稲垣啓二(二代)によって着手されます。
ところが稲垣が病に倒れたため天沼俊一が顧問として設計に参画することになります。
天沼は当時京都帝国大学工学部教授、古建築の権威でした。

なお施工自体は稲垣家に娘婿として入っていた北尾年弘が引き継いでいます。
ちなみに北尾年弘の子孫は今でも京都で社寺建築を手がけていて、伸和建設株式会社として営業を続けています。

 

天沼の指導により、稲垣によって設計された当初の再建案はかなり変更されたようです。
近世、江戸時代の宮大工が受け継いできた伝統に則ったとみられる稲垣啓二の仕様を、天沼俊一は、時代を一気に遡り鎌倉から室町にかけて、つまり中世を意識した設計案に組み替えました。
焼失した室町時代の法堂は当然に中世様式ですから、それを尊重した方針ともいえます。

結果として、中世の三門と近代の法堂が織りなす境内中心軸の景観が、非常に調和のとれた、一体感のあるものに仕上げられることになりました。

シンプルかつ重厚な、桟唐戸と連子窓による統一された垂直デザイン。
木組などの装飾性を抑制した水平軸によって、全体的に古典的といっても良いような美しい造形が達成されていると感じます。

 

天沼は東大寺創建当初の伽藍を再現した模型の製作を監修しています(東大寺大仏殿の中にその模型が展示されています)。

部分的に大仏様を取り込んでいるとされる東福寺三門の意匠を巧に引用するという天沼の復古建築センスが法堂では存分に発揮されているように感じます。

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東大寺 創建時伽藍の再現模型(大仏殿内展示)

今回特別公開された東福寺法堂の内部は、その外観から想像されるよりも、実際、中に入って見ると、非常に巨大な印象を受けます。

高さ約26メートル。
圧倒されました(内部は撮影禁止です)。

安置されている釈迦三尊像(京都五山の一つだった万寿寺ゆかりの仏像)は、それなりの大きさがありますが、いかにも堂内の空間を持て余しているように感じます。

それもそのはずで、この堂にはそもそも「大仏」が置かれる予定でした。
明治の失火により焼失した巨大な大仏の、焼け残った手だけが法堂内に展示されています。
大仏の再建は結局かないませんでしたが、それを納めようとした法堂内部の巨大空間はそのまま再現されることになりました。

天井には堂本印象が17日くらいで仕上げたという龍の図(「蒼竜図」)が描かれ、そのとき使用された筆があわせて展示されています。
江戸の名絵師たちによる禅宗寺院天井龍と比べてしまうと、どことなく余白が多すぎるようにも感じますが、逆にこれだけの空間にしっかり「絵になる龍」を描いた印象の筆力に驚きます。

 

中世の建築様式を引用したといわれる天沼俊一の建築手法。
しかし、圧倒的なボリュームをもったこの法堂内部は不思議な堅牢性をも感じさせます。
余計な木組は全くなく、四方を囲む大きな柱とシンプルな組物でがっちり構成された空間。
古風を尊ぶだけではなく、近代建築の持つ合理性、安定感をもしっかり取り入れた建築であることが感じられると思います。
やはり、これは、昭和初期の建築物です。

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東福寺法堂の組物

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さて、法堂の北側に隣接して、同じく明治期に焼失した方丈等の再建建築群あります。

天沼俊一の法堂と、規模はぐっと小さいながらも独特の存在感をもって向かいあっているのが、亀岡末吉による「恩賜門」です。
昭憲皇太后から東福寺に贈られたという由緒を持っています。
1909(明治42)年の建造物。

同じく菊の紋をあしらった亀岡による仁和寺東本願寺の勅使門に比べるとかなり小ぶり。
方一間、檜皮葺の向唐門です。
しかし、「亀岡式」の過剰ともいえる装飾が随所にはめ込まれていて、密度という点ではむしろ圧倒的な迫力をもっています。

 

同じ近代の復古調建築といっても、亀岡と天沼の手法はかなり対照的。
バロックと新古典の違いくらい差があります。
近代和様建築の名手二人による共演がみられる得難い空間が東福寺にはあります。

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東福寺 恩賜門

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