国宝・醍醐寺五重塔の初層には平安時代、10世紀に描かれた密教絵画が残されています。
毎月一回、29日に法要と合わせて公開されますが、外側から覗くことができるのみで中に足を踏み入れることはできません。
2022年早春、京都市観光協会と醍醐寺がタイアップした特別公開企画により、一部分だけですが、塔初層の中に入って鑑賞することができるようになっています(3月では12,13日のみ)。
事前予約制がとられていました。
ただ、同様の企画である西本願寺書院公開に比べると余裕があり、当日でも空きがあれば見学可能です。
「写経付き」とちょっと面倒な手続きがセットされています。
しかし、苔寺のように本格的ではなく、いたってカジュアルなものでした。
五重塔の前にある清瀧宮拝殿の中に椅子とテーブルが用意されていて、ここでカードのような写経用紙に好きな漢字一文字を筆ペンで書き、五重塔内の納経箱に入れるだけです。
また「僧侶がご案内」とありましたが、西本願寺書院見学のようにお坊さんのガイドに従った団体行動を強制されることはありません。
聞きたくなければ自由に塔の周りをウロウロと鑑賞することができます。
料金は1500円です。
これは西本願寺の2500円に次いで今回の「京の冬の旅」企画中、2番目に高い金額です。
仁王門から先の、金堂や五重塔があるエリアに入るためには別に拝観料がかかりますから、コストパフォーマンスを考えると、無粋な話ではありますが、微妙なレベルといったところでしょうか。
(以下、内部の写真撮影は控えたため絵画の画像はありません)
よく知られているように、醍醐寺五重塔は府内に残る最古の木造建築物です。
東寺(教王護国寺)、奈良の興福寺、法観寺(八坂の塔)に次いで、五重塔としては4番目、約38メートルの高さを誇ります。
村上天皇の951(天暦5)年に完成したとされています。
その建立計画自体は朱雀天皇の時代、931(承平元)年、醍醐天皇の一周忌御斎会を契機としてはじまりました。
五重塔建造を推進したのは醍醐天皇の第三皇子代明(よしあきら)親王と穏子皇太后、醍醐寺の延賀法師です。
ちなみに、五重塔の中には醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇、穏子皇太后の位牌が安置されています。
ところが、実質的な建立の主導者だった代明親王が計画途中で亡くなり、財政も厳しかったこと等から塔の完成は遅れ、結局、企画から20年余り経ってようやく落慶法要が営まれています。
従って、初層に描かれた密教絵画も、951(天暦5)年頃には完成していたと推定されることになります。
非常に類例が少ない、極めて貴重な10世紀の絵画です。
初層内部には濃密な真言密教の曼荼羅世界が描かれています。
中心となっているのは心柱を覆っている4枚の板絵。
現在、五重塔は西側を正面としていますが、ここに描かれている両界曼荼羅は南側を正面とし、西側、つまり南からみると左手に胎蔵界、東側すなわち向かって右側に金剛界を配置。
決して広いとは言えない空間の中に教義をきっちり反映した密教世界が再現されていることに驚きます。
今回の内部公開で、唯一、初層の中に入って鑑賞できる部分が、塔の東側部分です。
特別に足場が組まれ、かなり心柱の近くまで進むことができます。
ここには金剛界曼荼羅中央三会の諸尊が描かれています。
心柱覆板の中ほどに大日如来と、法・宝・金剛・羯磨の四波羅蜜菩薩が姿を現しています。
当然にたくさんの剥落がみられますが、1000年以上前の絵画とは思えないくらい生々しい線描と色彩が残っていて、北・西・南の覆板絵画と比べると、この板絵の保存状態が最も良いように感じられます。
東寺に残る両界曼荼羅図乙本と諸尊の描き方が似ていると指摘されています。
しかし乙本は鎌倉時代、空海請来の原本曼荼羅を写したものですから、醍醐寺のそれはこれより古い曼荼羅図像を直接的に伝えているということになります。
密教の神秘性をたたえつつも、大日如来の表情はなんともいえないほど柔和で親しみやすく、すでに平安時代がかなりその時代性を進めていたことがこの図像からも伝わってくるようです。
北・西・南に描かれた胎蔵界の諸尊は外側からのみ鑑賞可能となっています。
東面に比べると線や彩色を確認することがやや難しいのですが、夥しくも整然と配置された仏たちの図像から、曼荼羅世界を塔内に現出させようという作者渾身の配慮が感じられる素晴らしい作品です。
他方、天井には鮮やかな彩色の装飾紋様が残っています。
ただ、これは平安時代から残っているものではありません。
1765(明和2)年、初めて塔の本格的な長期修復が行われたときに施されたものです。
創建からの姿をそのままとどめているように見える醍醐寺五重塔ですが、当然に何度も修復工事が実施されています。
明和の大修理からおよそ200年後、1950(昭和25)年9月、ジェーン台風の暴風によって五重塔はついに倒壊。
これを契機として1954(昭和29)年から解体修理が行われました。
初層密教絵画については、このときはじめて学術調査が入り、研究が大きく進捗することになったのだそうです。
五重塔の組物には後代の修復による補強の痕跡が確認できます。
力強い構造美を、その継承の力とともに、今回の見学でじっくり鑑賞することができました。