■2022年2月26日〜4月10日
■京都文化博物館
このところ月岡芳年の絵が全国を回り続けています。
2016年末に島根県立石見美術館からスタートした「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」展は2021年まで全国各地を巡回。
これと並行して本展である「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」展が、2019年、名古屋から始まり、今年、最終巡回地である京都に到達。
2021年には「あやしい絵」展で国芳や芳年が大きく紹介されていましたし、現在開催されている、六本木の森アーツセンターギャラリー「THE HEROES 刀剣×浮世絵-武者たちの物語」(3月25日まで)では、はるばるボストン美術館から国芳・芳年作品が里帰り。
次々と話題の展覧会で取り上げられ続けています。
たまたま公開が重なったというレベルを超えていて、明らかに各地のキュレーターたちが鑑賞者ニーズを汲み取った結果が反映されているように思えます。
神戸新聞が音頭をとったと思われる「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」展は日本画家、西井正氣の月岡芳年コレクションによって構成されていました。
一方、本展「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」は名古屋市博物館に寄贈された尾崎久弥(1890-1972)と高木繁(1881-1946)の蒐集作品がベースとなっています。
世界随一という芳年コレクションを築いた西井正氣ですが、決して裕福だったわけではなく、彼は、生活費を切り詰める中での苦しい収集だったことを展覧会図録の中で赤裸々に吐露しています。
高木繁は、九州大学病院長も務めた医学博士ですから当時のエスタブリッシュメントに一応属していた人と見做せそうです。
しかし資産家というほどの財力を持っていた人とは思えません。
尾崎久弥の職業は国語教師。
芳年画の競り落としで谷崎潤一郎に勝ったという威勢の良い逸話をもってはいるものの、彼もお金持ちというイメージからは遠い人です。
こんなそれほど財力がなかったとみられる人たちが、夥しい数の国芳や芳年の作品を集めることができた理由は明白です。
幕末無惨絵系浮世絵師たちの評価が当時は現在に比べ著しく低かったからです。
国芳が得意とした武者絵にしても、芳年を特徴づける無惨絵にしても、景物そのものの描写に比重を置いた北斎や広重等に比べると、歴史物語や殺人事件があくまでも作品の「主題」なので、絵自体の芸術的価値が、近代の眼からみると一段低く設定されてしまったことがその大きな要因といえます。
さらに国芳や芳年が、誰に向かって浮世絵を描いていたかということも作品評価の浮沈に影響しています。
彼らが描いた歴史物語の一場面や犯罪の現場は、当時、この絵を買い求めていた人々にはとっては十分お馴染みの内容でした。
例えば、一見、何を描いているのか、もはやわからなくなっている梅若丸悲劇の場面にしても、謡曲・浄瑠璃の知識があれば、その後に起こる「隅田川」のエピソードも含めて、当時の鑑賞者に十分訴求できる画題でした。
つまり江戸末期から明治初頭のマーケットニーズにしっかり応えて彼らは浮世絵を生み出していたわけですが、主題自体が忘れ去られていくに従い、当然にそのインパクトに大きく依存していた作品の価値も急速に低下していくことになります。
お世辞にも「趣味が良い」とはいえない画題も相まって、先にみたコレクターたちのような一部の熱狂的な好事家を除き、低い評価につながってきたという背景があると思います。
しかし時代は変わりました。
講談や歌舞伎の英雄、怪獣妖怪の類、残忍な犯罪者といった「主題」そのものが、もはや意味の実態を完全に失い、一つの「イメージ」としてすんなり鑑賞者の眼に入ってくると、あらためて彼らの作品がもつ斬新で刺激的な構図や色使い、リアルさを失った人物の様式性が新鮮に映ってきます。
また、リアルにショッキングな画像や映像を見慣れてしまった現代人からみると、芳年の血みどろ絵はその様式性が逆に生々しく感じられ、国芳の怪獣は奇妙な可愛らしさを帯びているようにもみえてきます。
加えて、歌川国芳が、若冲・蕭白から続く「江戸奇想絵師の系譜」に連ねられて語られるというトレンドも国芳・芳年師弟評価の一般化に拍車をかけたような気がします(「奇想の系譜」展など)。
物語性や時事性、さらには「悪趣味性」を突き抜けた魅力を彼らの作品から素直に感じとれるように世間の見方が大きく変化したこと。
京都文化博物館での展示では、「英名二十八衆句」のコーナー前に「怖いものをみたくない方はあちらへ」という掲示板が掲げられています。
これは本当に気分が悪くなってしまう人を想定しているのかもしれませんが、むしろ「どうぞお入りくだい」とも受け取れる皮肉を込めたお洒落演出とみました。
西井コレクション展がおそらく「英名二十八衆句」全点をはじめて一堂に集めた企画と思われますが、本展でも落合芳幾の14点や目録も含め、29作品全てが揃っています。
あらためて全点を眺めると、なんというか、人の業の深さのような悲劇性が迫ってきます。
この作品に関して尾崎久弥に競りで買い負けたという谷崎潤一郎や、三島由紀夫が好んだという理由もよくわかります。
夥しい矢を射かけられた瀕死の男が見せる悲壮さ。
マゾヒスティックな魅力が匂い立つようです。
「正面摺り」の魅力を感じられるように絵の下から眺めることを解説していたりと、配慮を感じる展示でした。
なお、この連作をオマージュした丸尾末広と花輪和一による「新英名二十八衆句」は今見ても結構えげつない内容です。
子供の頃、うっかり本屋でこれを目にしてトラウマになり、しばらくその本屋に近づけなくなった思い出があります。
余談でした。
「挑む浮世絵」展の巡回が京都でフィナーレを迎え、いよいよ芳年の全国行脚も終わりなのかと思っていたら、4月からは八王子市夢美術館が「最後の浮世絵師 月岡芳年」展を開催するとのこと。