京都御所、今年2022年、春の特別公開が4月6日から始まりました(4月10日まで)。
2年半もの修復期間を経て再公開された清涼殿が今回最大の話題となっています。
まだ左近の桜が咲いていますから多少混雑するかと思っていましたが、それほどでもありませんでした(平日午前)。
通常公開時は立ち入ることができない日華門から入って紫宸殿前に進み、清涼殿の中庭を抜けるコース。
普段は遠目にしか見ることができない近世宮殿の大建築群です。
整理された組物が醸し出すリズミカルな清々しさを間近で鑑賞することができます。
いつもは承明門越しに紫宸殿を眺めるわけですが、特別見学コースでは逆に承明門の後方に建礼門を観ることができます。
このアングルからの眺めが、みる高さはかなり違うものの、近世末期から昭和までの天皇が即位礼の時、紫宸殿の高御座から目にしていた光景ということになります。
なお、令和即位礼でも使用された高御座が紫宸殿内に設置されていますが、暗がりに隠れているのでほとんどその華麗な装飾を見ることはできません。
清涼殿再公開よりも個人的に今回の特別公開で一番の見どころと期待していたエリアが御常御殿です。
3年ぶりに東側面各間の戸が開放され、内部に描かれた障壁画が公開されています。
なお、公開といっても内部に入室できる訳ではありませんから、あくまでも外側から覗く程度。
障壁画をたっぷり楽しむためにはオペラグラス級の小型双眼鏡が必要です。
近世における天皇の日常的な住まいといわれる御常御殿。
「御内池」に面した東側には南から御小座敷 下の間、御小座敷 上の間、一の間、二の間と四つの空間が連続しています。
いずれの室内にも非常に手の込んだ障壁画が描かれています。
ここは幕末頃における京都画壇勢力図を象徴しているような空間なのです。
「御小座敷下の間」を担当しているのは塩川文麟(1808-1877)。
幕末から明治近代初期にかけての京都画壇における巨匠中の巨匠です。
農村風景を題材とした「和耕作」を描いた1855(安政2)年、文麟は40歳代後半。
まさに脂ののりきった時期ですが、ここではぐっと抑制的に里山の情景を丁寧に写しています。
続く「上の間」を担当したのは中島来章(1796-1871)。
この人も四条派の伝統を受け継いだ名絵師です。
山部赤人による有名な「和歌浦」の歌をモチーフとした海鳥の姿が典雅に描かれています。
文麟同様、華やかさは抑え気味。
格調高さを優先し、室内の装飾がうるさくなりすぎないような工夫が見られます。
以上、南側二つの間は、円山・四条派の実力者が手分けして仕上げていることになります。
他方、一の間と二の間を担当した絵師は狩野派です。
正確にいえば、京狩野と江戸狩野、二派の正統が腕を競っています。
「一の間」は京狩野九代を名のった狩野永岳(1790-1867)が仕上げています。
こちらは和漢朗詠集に題をとった華やかな春景が室内を彩っていて、御小座敷の抑制された色調とは対照的。
格式高いメインルームとしての顔をもっています。
円山派的な写実を取り入れながらも、この人はどこか狩野山雪を意識したような極端なデザイン性を採ることが多く、この一の間でもその片鱗を見ることができると思います。
「二の間」は江戸狩野の京都出張所ともいうべき鶴澤派七代、鶴澤探真(1834-1893)が担当しました。
ただ、この間だけは絵の入れ替えが行われています。
安政2年の御所造営時当初は岸岱による障壁画が飾られていたのですが、慶応3年、どういう事情があったのかはわかりませんが、この探真による「四季花鳥図」に改められています。
特に閃きは感じられないものの、穏やかかつ優美な飽きのこない花鳥画であり、天皇の生活空間を彩る絵として岸派の硬さよりもふさわしいものがあったのかもしれません。
江戸後期、円山応挙から連綿と続いてきた円山・四条派の実力者二人、文麟と来章。
一度はパトロンの九条家からも見放され零落していた京狩野を復活させた永岳。
かろうじて幕末まで江戸狩野の格式を受け継いできた探真。
特に鶴澤探真は、この御所絵画の直後、明治維新を迎えてからは狩野派絵師のステイタスである法眼の位を返上し、明治政府支配下の役人画家として再出発することになります。
実質的な鶴澤派最後の絵師であり、慶応3年に描かれたこの四季花鳥図は、時期的にみて、彼がまだ法眼位にあった最後の大仕事でした。
つまり、御常御殿二の間の障壁画は、京都で一時代を築いた絵師集団、鶴澤派、その最後の大作ということなります。
また、狩野永岳は明治維新を迎える直前に世を去り、以後、京狩野が再び勢いを盛り返すことはありませんでした。
明治以降も引き続き近代京都画壇を牽引しライジングしていく円山・四条派の絵師たちと、夕映のごとき最後の輝きを見せた京と江戸の狩野派。
京都御所御常御殿は、江戸時代後期における京都画壇光芒の有り様がそのまま表されているダイナミックな絵画史空間でもあると思います。
見応えがありました。