特別展 大安寺のすべて ―天平のみほとけと祈り―
■2022年4月23日~6月19日
■奈良国立博物館
大安寺は固有名詞なので英訳してもDaianji Temple、なのですが、奈良博はこの展覧会に"Temple of Great Peace , The World of Daianji and Buddist Art in Ancinent Nara"と英文タイトルをつけています。
「大いなる平和の寺」、ということでしょうか。
世情を考えると何か込み上げてくるものがあります。
ちょうど、現在、京都国立博物館では「最澄と天台宗のすべて」の最終巡回展が開かれています。
東京、九州、京都の3国立博物館が連携した天台宗の「すべて展」に対し、奈良博は単独で大安寺を特集し「すべて展」を開催。
こっそり意地を見せている感じがして素敵です。
といっても、現在の大安寺は名刹ひしめく奈良の中ではどうみても小規模寺院のクラス。
かつては南都六宗の一つ、三論宗教学の場として絶大な寺勢を誇っていましたが、特に中世以降急速に衰え、現在は真言宗の寺として命脈を保ちつつも、境内を往時から大きく縮退させています。
めぼしい寺宝は9体の重文仏像くらいしかありません。
いくら「すべて展」と銘打っても大安寺の遺産だけで奈良博の東西新館を満たすことは到底できないことになります。
しかし、物理的な面積は狭くなっても、この寺の「時間軸」は天台・真言の歴史を丸ごとのみ込んでしまうほど長く伸びています。
奈良博はこの大安寺がもつ特級の「時間軸」を企画の土台に据え、多方向に影響を与え続けたかつての大寺院、その全貌を明らかにしようとしています。
「天台宗のすべて」に十分拮抗する、「大安寺のすべて」が文字通り展開されている、もの凄い内容の企画展です。
飛鳥時代、聖徳太子や舒明天皇との関係まで遡る歴史をプロローグとしながら、秘仏を含む大安寺の木彫仏9体全てが展示されています(前後期で一部入れ替え)。
中でも「伝楊柳観音立像」の異形さに圧倒されました(通期展示)。
一般的に優美さが特徴とされる観音像ですが、この像の容貌は峻厳そのもの。
初期密教の影響がそろそろ平城京の仏像にみえはじめてきている作例とされていて、明王系の憤怒表現まであと一歩という段階。
それだけに平安密教彫像とは一味違った古式の魅力が感じられると思います。
現在の大安寺に伝わる彫像芸術がすべてケースなしの独立展示で紹介されています。
十一面観音や、後期に登場する馬頭観音はそもそも秘仏でご開帳の日数も限定的。
一堂に会した今回の展示は大変貴重な鑑賞機会ということになります。
会場では最近製作された、かつての大安寺を再現したCG映像が流されています。
東西に七重の塔を配していたという壮大な伽藍は薬師寺の規模を大きく上回る広さ。
本尊であった丈六の釈迦如来像は大江親通によって「薬師寺の像よりも素晴らしい」と記録されるほどの名品とされていました。
大安寺の長大な時間軸を活用し、奈良博はさまざまな文物を引き寄せ展覧会を構成していきます。
大安寺の名が随所に登場する日本最古の説話集『日本霊異記』(興福寺蔵)をはじめとする貴重なテキスト類の数々。
かつての本尊釈迦如来像を空想するよすがとして長谷寺の国宝「法華説相図」を展示する一方、空海に虚空蔵求聞持法を授けた大安寺僧に因んで細見美術館から截金が艶かしい円盤「虚空蔵菩薩像」が出展されるなど、大安寺を起点として実にさまざまな仏教美術が集められています。
京博で比較的よく展示されているのでお馴染みの西往寺「宝誌和尚立像」。
かつて同じような像が大安寺に置かれていたと伝わることから特別出品されているのですが、ケース内展示が通例の京博と違い、本展では何の囲いもありません。
360°、ぐるりとこの異形像の姿を堪能することができます。
背面にはほとんど肉体を感じさせないくらい造形らしい造形がありません。
余計な人体写実表現がない分、顔面から顔面がめくれて現れるこの像の神秘性が高められているように感じます。
これも滅多にない鑑賞機会だと思います。
とにかく貴重なマスターピースが連続する大安寺展。
宇佐八幡宮から八幡神を石清水八幡宮に勧請した僧が大安寺の行教だったことに関係し、薬師寺の休ケ丘八幡宮(元石清水)の神像三体が展示されています。
奈良博に寄託されている有名な国宝です。
鮮やかな彩色が残っています。
しかしこれは後補ではなく9世紀に造像された当初のもの。
その異様な迫力に圧倒されます。
こういう「つながり」でみせてしまうところが、さすが、奈良博です。
前後期の入れ替えはそれほど多くはありませんが、大安寺二大秘仏のうちの一躯、伝馬頭観音立像は後期にならないと展示されません。
おそらくもう一度、足を運ぶことになりそうです。