ルーシー・リーとバーナード・リーチ

 

アサヒビール大山崎山荘美術館では現在、「コレクション 春」と題した館蔵品展を開催しています(2022年3月19日〜7月3日)。

ヴラマンクの「雪景色」、クレーの「大聖堂」、カンディンスキーの「コンポジション」、ミロの陶芸など、見どころが多い展覧会に仕上がっていると思います。

www.asahibeer-oyamazaki.com

 

バーナード・リーチ(1887-1979)とルーシー・リー(1902-1995)に大きめな1階の展示室があてがわれています。

周知の通り、大山崎山荘美術館コレクションの基礎を築いた朝日麦酒社長、山本爲三郎(1893-1966)は、「民藝」運動の熱心な支持者でした。

そのつながりから当然にバーナード・リーチの作品も数多く蒐集されることになり、リーチが復活させたスリップウェア陶器などは、企画展が開催されている間も一部常設コレクションとして展示され、この美術館を特徴づける一つの要素になっています。

 

ただ、正直、私はこの「民藝」系の作品がどうも苦手なのです。

シンプルにミニマルな造形が示されている器物類はまだ良いのですが、ボテっとした重苦しい陶器などは全く好みではありません。

山本爲三郎には申し訳ないと思いつつ、いつも濱田庄司やリーチの前はほぼ素通りしていました。

 

ところが今回展示されている大型陶器の一部、「ガレナ釉」が使われている大鉢には不思議と惹き込まれました。

分厚く土が使われている点で、いつものリーチ作品と共通するのですが、異様なほど赤茶けつつも艶やかに輝くその色彩からは、いわゆる「民藝」的な素朴さを超えた迫力が発散されています。

「用の美」という民藝が自らにはめこんでしまった枠を超えて、釉薬自体が圧倒的質感をもって主張しています。

器のもつ異様な生命力に息をのんでしまいました。

 

 

そのリーチに一時師事していたのが、ルーシー・リーです。

大山崎山荘美術館が所蔵するリーの作品は決して多くはありません。

しかし、主に80年代後半につくられたリーの晩年作を中心にコレクションを増やしていて、今回も6点ほどリーチ作品のすぐそばに展示されています。

 

会場での解説板にもあるように、ルーシー・リーバーナード・リーチの教えを受けたにもかかわらず、その作風は全く師匠とは違っています。

薄く成形されたスタイリッシュなフォルムに洗練された色彩とデザイン。

「民藝」の世界観からも非常に遠い作風です。

山本爲三郎は1966年に没していますから、1980年代以降に製作されたルーシー・リーの作品は、当然に山本コレクションに含まれていたものではありません。

おそらくこの加賀正太郎邸が美術館化された後に購入されたものでしょう。

しかし、2010年に催された大規模な「ルーシー・リー」展では、作家晩年の代表的作例として、この美術館から3点出品されるなど、すでに一定の存在感を示しています。

「青釉線文鉢」(1989)は、同型の優品が東京国立近代美術館にも所蔵されていますが、大山崎山荘蔵の作品も繊細な造形と釉の色が示された傑作です。

 

ルーシー・リー「青釉線文鉢」(東京国立近代美術館)

 

一方、「溶岩釉長頸壺」(1989)はリーが晩年に取り組んだ手法の代表例で、釉薬自体がブツブツと気泡をはらみ、複雑かつ、どこか古代の器を感じさせるような佇まい。

下記大山崎山荘美術館のHPに画像が掲載されています。

コレクション 春 ―所蔵作品による名品展|展覧会・イベントカレンダー|アサヒビール大山崎山荘美術館

 

作風が真逆といわれるルーシー・リーバーナード・リーチですが、人間関係自体は終生変わることなく良好だったといわれています。

大山崎山荘美術館が有するリー晩年の作品からは、それまでのある種、都会的な作風から、歪みをそのまま残したり「溶岩釉」のように素材が偶然生み出す表情を重視するなど、単なる素朴さとは違った独特の野趣が感じられるような気がします。

山本爲三郎の好みにはおそらく合わないとみられるルーシー・リーですが、彼女の作品の中でも、民藝的な味わいをほんの少し感得できるような器が、ここでは集められているのかもしれません。

 

余談ですが、ルーシー・リーとよく似た生き方をしたある人物を思い出してしまいました。

先日まで三菱一号館美術館が企画展を開催していたデザイナー「上野リチ」(フェリーツェ・リックス・ウエノ)です。

mimt.jp

 

ルーシー・リーは1902年、ウィーン生まれ。

上野リチは1893年、ウィーン生まれ。

リチの方がリーよりやや年上ではありますが、両者とも比較的裕福なユダヤ人の家庭に生まれ、ヨーゼフ・ホフマン等が主宰していたウィーン工房に参加しているという点で非常に似通った経歴をもっています。

 

ナチスの手から逃れるため、リーはロンドンヘ、リチは京都へ。

共に大陸から島国に渡り、そこで残りの人生を過ごすことになりました。

 

ここまででも不思議な類似点がある二人の女性ですが、その芸風というか、「姿勢」もどこか共通しているように思えます。

ルーシー・リーは、先に見たように師匠リーチの作風や当時のイギリス陶芸界の流れと全く違う独自のスタイルを貫きました。

上野リチも、和の意匠が支配する京都に長く暮らしながら、ほとんど「日本的」なデザインに染まることなく、ダゴベルト・ペヒェから続く晩期ウィーン工房のデザイン潮流を引き継いで活躍しています。

誇り高いウィーン人は、ロンドンだろうが京都だろうが、「筋を通した」、ということかもしれません。

 

今年はバーナード・リーチ生誕135年、ルーシー・リー生誕120年。

大山崎山荘美術館は7月初旬から3ヶ月ほど修繕のため閉館するそうです。

休館前、良いものを見せてもらいました。