王朝文化への憧れ-雅の系譜 Ⅱ期
今年3月からはじまった承天閣美術館の王朝文化コレクション展。
後期の展示がスタートしています。
前期の目玉だった佐竹本三十六歌仙絵「源公忠」に代わり、後期は、この断簡と同じく旧萬野美術館から相国寺に贈られた名品、俵屋宗達筆・烏丸光広賛による「蔦の細道図屏風」が登場。
豪勢な金屏風が展示室をまばゆく照らしています。
おそらく宗達作品の中で最もモダンデザイン側に振り切った絵画です。
写真などでみるよりも、その極端に抽象化された図像表現と色彩の鮮やかさに圧倒されます。
とても400年前に描かれたとは思えないくらい斬新な構図で、これに比べると光琳の「紅白梅図屏風」(MOA美術館)ですら至極穏当な図像に見えてくるくらい。
琳派は宗達を始祖とするわけですが、この「蔦の細道」を観ていると、そのデザイン的新奇性は、光琳、抱一と進むにつれ、むしろやわらいでいくようにも思えてしまいます。
こんな江戸初期モダニズムを一体、誰が求めたのか。
贅沢に使われた金箔や緑青からは発注主の高い財力がうかがえます。
そして、この強烈なゴールドとグリーンだけで構成された豪奢な画像に、さらりと「伊勢物語」の世界を文字で書き記す烏丸光広の豪胆とも言える神経。
並の人なら、緊張して筆をもつ手が震えそうですが、大胆にうねる太い線から、繊細に小さく書き散らされた文字まで、むしろ宗達のデザインに挑むような緩急自在の筆運びが感じられます。
今更ながら、大変な傑作です。
何点か初公開品が展示されています。
驚いたのは、谷口華明による「小野小町九相図」。
てっきりこれも旧萬野美術館からの寄贈品と思ったら、所蔵は相国寺塔頭の慈照寺、つまり銀閣寺です。
賛を記しているのは、盈沖周整(えいちゅう しゅうせい )。
江戸時代末期の相国寺百二十世です。
ほぼ幕末近くに描かれた亡骸のメタモルフォーゼ絵画。
九相図は明治以降みられなくなりますから、この強烈な仏教絵画ジャンルにおけるその最後に近い作例ということになります。
縦長の画面に上から小野小町が「変化」していく様が描かれています。
形式上は典型的な九相図の作法に従っているのですが、その図像は妙にリアル。
写実的ということではなく、むしろ近世風俗絵画風の人物表現に近い部分が見られます。
しかし、なぜか生々しいのです。
谷口華明という絵師の名前は知りませんでした。
絵に添えられた解説によると、横山華山の弟子にあたる人なのだそうです。
1852(嘉永5)年版「平安人物志」の記すところによれば、華明は室町一条北あたりに住しています。
つまり、相国寺のごく近所で仕事をしていた絵師。
1861(文久元)年に亡くなった盈沖周整から直接、九相図製作の指示を受けたのかもしれません。
華明の師匠、横山華山は山形美術館が蔵する有名な大作「紅花屏風」に代表されるように、生き生きとした群像人物描写に秀でた大絵師として知られています。
その師匠の画風をおそらく華明は意識したのでしょう。
おぞましく変わり果てていく小野小町の様相を写実的画法にはよらず、風俗絵の雰囲気を残しながら全体としては細やかな筆致によって表現しています。
だから、逆に不思議と生々しい絵に仕上がっているのかもしれません。
本展のタイトルは「王朝文化への憧れ」です。
小野小町は六歌仙の一人ですから、そのつながりでこの九相図が加えられているのでしょうけれど、「蔦の細道図」の在原業平とはまったく違う視点で選ばれたようです。
華やかな王朝美と、そのすぐ横にある無常の世界。
こんなインパクトの強い異形絵画が初公開です。
あらためて、承天閣美術館の奥深さが感じられる展示でした。