泉鏡花がみた「築地明石町」|鏑木清方展より

 

没後50年 鏑木清方

■2022年5月27日〜7月10日
京都国立近代美術館

 

東京国立近代美術館での展示を終え、清方展が京近美に巡回してきました。

予想以上に混雑しています。
今も人気が高い画家の大規模回顧展ですから無理もないのですが、意外だったのは、展示スペース。
普段より狭く設定されているのです。
だから余計、人口密度が高くなります。
3階企画展エリアのおそらく1/3くらいが閉鎖されていて、滅多に開設されない特別ショップのブースまで展示スペースにくいこむかたちで配置されているので、正味の展観空間は通常時の半分くらいまでに縮減されているように感じられます。

振り返ってみると、5月初旬まで開催されていた京近美入魂の大企画「サロン! 京の大家と知られざる大坂画壇」展では3階を丸々使いつつ、一部4階のコレクション展コーナーまで活用していました。
地味な内容と相まってか混雑は全くなく、前後期を通じて快適な鑑賞空間が維持されていたと思います。

一方、今回の鏑木清方展はなぜか、窮屈なのです。
「築地明石町」、40数年ぶりの再発見が目玉の展覧会。
たしかに、やや東近美側に話題が偏った企画です。
ということもあって、岡崎側がちょっとへそを曲げて会場を狭くしたようにも受け取れますが、一方で、京都展のみに出展されている作品も結構見受けられます。
京近美が清方に特別いけずしているとも思えません。

総数109点とはいえ、前後期の展示替えがありますから、実際一度に展示されている数は80点程度でしょう。
大半が細長い掛け軸様式なので、作品間の距離を取りすぎるとまさに「間が持たない」ということが関係しているのかもしれません。
しかし、今年初めに企画された「岸田劉生展」も数としては同じくらい、かつ、大型作品はほとんどなかったにもかかわらず3階全てを使いきって堂々の展示空間を実現していました。

なぜ清方展のスペースが縮小されているのでしょうか。
この清方展の後に開催が予定されている「清水九兵衛展」で、おそらく大型の重量級オブジェが登場しそうですから、ひょっとすると、その設営準備空間が必要なのかもしれません。
いずれにせよ、コロナ以降のゆったりとした鑑賞空間を期待すると、曜日や時間帯にもよると思いますが、ちょっと混雑ストレスが生じそうです。

www.momak.go.jp

 

「築地明石町」は再発見された直後、2019年の竹橋での短期特別公開時、鑑賞しています。
その時、東近美は「いずれ鏑木清方の大特集展を開催し、あらためて展示する」と約束していました。
3年後、予定通りその約束を果たしたことになります。
さらに今回はその「下絵」も一緒に展示されています。
非常に貴重な鑑賞機会だと思います。

 

矢来公園にある鏑木清方旧居跡の説明板



さて、泉鏡花は、「築地明石町」をまず下絵の段階で観ています。
『健ちゃん大出来!』という、1927(昭和2)年11月「美之国」に発表した小文で、鏡花はこの絵を大絶賛しているのですが、その文章は次のように始まります。

「築地明石町」は、見はらしの好い矢来の二階で、下絵の時見ました。(中略) じっと見て、ほかに申しようはない、いいに身が入って、岡惚れの形です。一寸ぼれではありません。
(岩波文庫『鏡花随筆集』P.280)

「健ちゃん」というのは鏑木清方の本名、條野健一から、鏡花がつけた愛称です。
「見はらしの好い矢来の二階」とあります。
「矢来」は牛込矢来町、現在の新宿区矢来町のことです。
清方はここに1926(大正15)年9月に居を定め、1944(昭和19)年、鎌倉に引っ越すまで住んでいました。
泉鏡花は明治時代の一時、矢来町のすぐ南の南榎町や、近所の神楽坂に住んでいたことがありますから、清方の屋敷があったあたりはおなじみの場所だったはずです。
清方は1932(昭和7)年、吉田五十八に頼んでこの自宅を改築、応接間や玄関を整え、「夜蕾亭」と洒落た名前をつけていますが、「築地明石町」が描かれた当時(昭和2年)はまだ改築前だったということになります。

「見はらしが好い」と鏡花が言っているのはお世辞ではなくおそらく本当です。
清方の屋敷があった場所は今の住居表示でいうと新宿区矢来町38番地3。
現在、新宿区立矢来公園のある場所の東側あたりと推定されています。
そのすぐ西には外苑東通りに向かって崖を降るような急坂が続いています。
北側も一気に低地が広がる赤城下町です。
周りに高層建築がなかった当時、実際、素晴らしく見はらしの良い高台に清方邸はあったと想定されます。
「築地明石町」を観てすぐに感じる、一種の爽快感、すっきりとした風情は、案外、この昔ながらの山手の街、矢来町が持っていた空気感が影響しているのではないか、そんな妄想を抱いています。

ところで、同じ随筆の中で、続いて、鏡花はある作品についてちょっとネガティブともとれる一言を発しています。
次の通りです。

前年のきりしたんものの時は「やってるな」と思いましたが、今度のはしみじみいいと思いました。
(同書同ページ)

「前年のきりしたんもの」とは、今回の清方展でも展示されている「ためさるゝ日」のことです。
踏み絵を前に複雑な表情を見せる長崎の遊女が描かれた傑作で、清方自身もこの自作を高く評価していたのですが、鏡花にいわせると、「やってるな」、つまり、劇的な効果はあるものの、味付けが濃い、あるいは、作為が目立つ、というような評価になるのでしょう。
そういう鏡花風の視点でみると、なるほど「築地明石町」のもつ奇跡的な気品の高さが際立つようにも感じられます。

「築地明石町」への鏡花の絶賛。
以下の一文がこの絵の素晴らしさを端的に表現していると思います。

何よりも実に優婉、清淑、いき、人がらな姿です。それに胸のあたりに籠った優しさ、袖の情、肩のいろけ・・・・・・

(同書同ページ)

「いろけ」と言いながら、鏡花はすぐそれを「性的ではない」と注記しています。
あくまでも「意気」、描かれた女性が醸し出す独特の香気を指摘しているのです。
鏡花は、下絵の段階では描かれていなかった「水」の効果にもふれていて、全体にすっきりとしたこの作品に加えられた「しっとり」感にも言及しています。
今回の下絵と本作の同時公開によって、下絵段階からこの作品に惚れ込んでいた泉鏡花鑑識眼がより一層実感できました。

「築地明石町」、同じく矢来町で描かれた「三遊亭圓朝像」同様、重要文化財指定の日も遠くないように感じます。